しのうしのブログ

たまに外出

坂本直行翁入植の地へ行きました

坂本直行入植地

坂本直行氏については、2023年1月22日にEテレ日曜美術館で紹介されました。2023年6月29日の北海道新聞で、広尾町が整備するというニュースを見たので、7月初旬に行ってみました。

直行さんは、花の絵が地元の菓子店・六花亭の包装紙になっています。六花亭が毎月発行している児童詩誌「サイロ」の表紙絵などを描いていたことで、十勝では知られています。

 

国道336号線の豊似橋を渡り少し進むと、左手に草に埋もれた案内があります。そこを左折。

◎ 100メートルほど進むと、舗装に旧広尾線跡らしきものがあります。そのまま直進。

◎ 国道から約5キロメートルで道道1037号との交差点があります。そこを左折。

◎ 北へ550メートル進むと左に案内見えます。ここだけ、矢印が残っていました。そこを左折。

標柱の文章。『北海道大学農学部在学中は山岳部員として活躍、昭和五年より広尾町下野塚の原野で開拓生活を始める。困難で恵み少ないその余暇に四季折々の原野や日高の山なみを描き続け三十六年を過ごして、昭和四十一年札幌に移る。』

◎ 未舗装路を500メートルほど進むと、左に案内があります。

(右側) 約1ヶ月後に行ってみました。新しい看板が立っていました。

◎ そこから右へ、草の生えた道に入ります。

◎ 500メートルほど進みます。そこの左にこのような看板があります。

◎ 遠くに標柱が見えます。

◎ そこからは歩いて、150メートルぐらいでしょうか。そこに「入植の地」の碑が建っています。
    (■は土に埋もれていて写真にうつっていませんでした)
『坂本直行は、明治三十九年(一九〇六)釧路市に生まれ、小学2年で札幌に移り、札幌二中(現西高校)時代から登山を始め、■<北海道帝国大学か>
(現北海道大学)農学部時代には山岳部で活躍した。昭和二年(一九二七)卒業後東京で園芸の研究を行うが、同五年(一九三〇)■
(広尾郡下野塚)に入植した。同三十五年(一九六〇)に離農するまで開拓のかたわら絵を書き、仲間と登山を楽しんだ。農民画家■
として知られる。』

◎ 碑の周辺の様子です。

◎ 南側は牧草地です。

◎ この日は曇っていて楽古岳は見えませんでした。

◎坂本直行。1906.7.26-1982.5.2。

著書は多数ありますが、『わたしの草と木の絵本』(1976年12月、茗溪堂) を所有しています。
案内等の更新はこれからのようでした。国道入口の案内は草が刈られていませんでした。
車を降りてから入植地までは草が刈られていましたが、道路からの500メートルは草が伸びていました。
整備が進むのはこれからのようでした。

 

中札内村に「六花の森」があります。そこには坂本直行記念館や山岳館、デッサン館などがあります。