しのうしのブログ

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《十勝28》 廃校・廃線 広尾線④ <大樹=広尾-音調津> (3/6)

廃校 野塚小学校野塚中学校 
廃駅 豊似駅野塚駅 
廃線 広尾線 
駅逓 豊似郵便継立・中継所 

《十勝28-3》 廃校・廃線 広尾線④ <豊似=野塚> 

●豊似駅広尾町豊似)


1932年に開業した広尾線の駅です。石坂駅から6.3km。1987年広尾線廃線で廃止になりました。ホクレンのガソリンスタンドのところで国道を東へ曲がります。


この道の突きあたり、草の生えている辺りに駅舎があったようです。その奥の左右が広尾線でした。

豊似郵便継立・中継所広尾町豊似)


1900年開設。豊似市街の南、豊似橋手前の国道の西側に、草に埋もれていますが、標柱があります。
後と横に文章があります。
『史跡 豊似郵便継立、中継所跡  明治三十三年(1900)、広尾と帯広間の郵便継立、中継所として郵便物の中継のほか宿泊の便もかね、笹森長七郎取扱いで始まった。市街地十数戸と共に豊似発祥の地でもある。中継所は、大正十年(1921)二月集配郵便局として豊似本通二十三番地に開局された。管轄区域は野塚川以北、紋別川までであった。』


矢印の先に道がありますが、行きませんでした。奥に何かあるのでしょうか。
豊似駅ができる前は、豊似川に近いところが市街地だったようです。

●豊似川橋梁広尾町豊似)


国道の豊似橋が1963年に架けられたので、国道はその頃に切り替わったようです。写真は豊似橋から南方向の豊似川です。
それまでの道路橋は現豊似橋の少し南で、広尾線と並んでいました。その後、広尾線も切り替わったようで、少し北(旧国道橋近く)に橋梁ができたようです。当時と比べると豊似川の流れは変化し、左岸は浸食されているように見えます。

豊似川・・・豊似市街の南を流れ、太平洋に注ぐ川です。松浦、トヨイ。永田、toyoi-pet「土川」。駅名の起源、トイ・オ・イ「食土・ある・所」。など。
豊似というと豊似市街付近ことを指しているようです。その他の豊似川以北は紋別と出てきます。

●野塚駅広尾町野塚9線)


1932年に開業した広尾線の駅です。豊似駅から5.1km。1987年広尾線廃線で廃止になりました。道路の曲がり角にしか見えませんが、この駅前通りの突きあたりに駅舎があったようです。

野塚小学校広尾町野塚9線)


野塚市街の南で、国道336号線沿です。国道沿いに校門があります。


校舎は残っていて、現在は野塚交流館になっています。


野塚中学校からグランド越しに見た野塚小学校。1901年野塚簡易教育所として開校。1947年から51年は中学校併置。2015年広尾小学校と統合しました。

野塚中学校広尾町野塚9線)


野塚小学校の南の国道沿いに校門があります。右がグランド跡になります。


野塚小学校とグランドをはさんで南側、向かい合うように校舎があります。1947年小学校併置で開校、1951年独立、1960年現在地に校舎建築。2007年広尾中学校と統合しました。

野塚川・・・野塚の北を流れ、太平洋に注ぐ川です。松浦、ノツカ。永田、nupka-pet「野川」。更科、ヌプカペツ「野原の川」。積丹利尻富士、増毛にも野塚がありますが、not-kaで「岬の上」だそうです。岩内には野束があります。