しのうしのブログ

たまに外出

《十勝29》廃校・廃線 十勝東南部 <仙美里=勇足-浦幌-豊頃> (2/7)

廃校 富岡小中学校東台小中学校旧池田高等学校 
学校 池田中学校池田小学校  
廃線 新田東台馬車軌道 

《十勝29-2》廃校・廃線 十勝東南部 <富岡-昭栄> 

富岡小中学校(池田町富岡)


勇足で国道242号線から道道236号に入り約10km。校舎跡に富岡コミュニティセンターが建っています。正面に閉校の碑が見えます。


正面にある閉校の碑「草創之理永遠」です。上は校歌。裏は沿革です。


入口の左の碑は開校70周の碑「感懐七十星霜」です。その後ろはバックネットとグランド跡。
富岡小学校は1911年十弗第二尋常小学校(東台小)幌加特別教授場として開校(幹線18号)。1915年移転(幹線22号)。1936年に幌加尋常小学校、1941年に富岡国民学校と改称。1986年池田小学校と統合しました。
富岡中学校は1951年併置で開校、1973年池田中学校と統合しました。

東台小中学校(池田町東台)


富岡小学校跡から道道236号を南へ約8km。東に入る道に校門があります。右の門柱は学校名、左は校章です。


坂を上っていくと学校跡があります。この建物は校舎の一部のようにも感じます。


その右に2019年完成の東台自治会館。


奥に閉校の碑「東台の灯は消えず」があります。裏は碑文。


坂を上がったところ、建物の横にある顔に見えるこれは作品でしょうか。
東台小学校は1904年十弗幹線特別教育所として開校。1907年十弗第二尋常小学校、1913年東台尋常小学校になりました。1943年に東光国民学校、1952年に東台小学校と改称。1986年池田小学校と統合しました。
併置の東台中学校は、1949年池田中学校東光分校として開校、1950年東台中学校になりました。1966年池田中学校と統合しました。


東台小学校の少し南です。新田東台馬車軌道は池田駅から毛根別川まで伸びていたそうです。左右の川は十弗川、右下からは姉別川。奥の山のふもとが毛根別川。馬車軌道はそちらの方だったようです。

十弗川・・・旧十勝川の左岸支流でした。今は利別川支流。to-putで「沼の・口」。十弗川の河口付近にto「沼」があったそうです。昔この流域は十弗村でした。十弗村は1906年合併して凋寒村大字十弗村になりました。1913年大字東台村に改称しました。今の富岡、東台、昭栄です。
日高の静内に遠仏村がありました。今は田原のようです。

町立池田高等学校池田中学校(池田町西3条)


町史からうまく読み取れないのですが、旧制町立池田中学校として建てられた建物が新制池田中学校になったようです。
この校門の正面に校舎がありました。
旧池田高校は、1942年旧制の町立池田中学校として開校。1948年町立池田高等学校になり、1949年道立池田女子高等学校として統合して、北海道池田高等学校になりました。


今は、左奥に池田中学校の校舎があります。池田中学校の校章は、旧制池田中学校のものを受け継いでいるそうです。
池田中学校は1947年開校。2028年池田小学校と統合し、施設分離型義務教育学校いけだ学園の開校が検討されています。

池田小学校(池田町西3条)


校舎の南側からです。少し前までこの駐車場の先に校門・右に二宮像があったようですが、なくなったようです。もう少し早く来れば見られたかもしれません。


西側にある校門。


上の南にある開校60周年記念碑。


道道73号側からの校舎。普段はこちらが見えます。
1901年池田簡易教育所として開校。1904年に池田尋常小学校。1915年利別尋常高等小学校と合併し川合尋常高等小学校に。1927年池田尋常高等小学校と改称。
2028年池田中学校と統合し、施設分離型義務教育学校いけだ学園の開校が検討されています。

●新幹線「0系」(池田町昭栄)


道道73号沿い、昭栄神社の向かい(南東)にかつて0系新幹線の前部が見えました。いまは赤い屋根の建物の中にあるのでしょうか。

※池田町の廃校は全部登場したと思います。
青山小中学校、町立池田高等学校、池田女子高等学校、池田西高等学校、大森小学校、居辺小中学校、川合小学校、様舞小学校、昭栄小学校、高島小学校、高島中学校、近牛小学校、千代田小学校、東台小中学校、利別小学校、富岡小中学校、美加登小学校