廃校 晩成小学校
《十勝27-3》 廃校・廃線 広尾線③・国鉄バス晩成線 <生花-晩成>
▽生花苗沼 (大樹町生花)
海岸にある潟湖です。ホロカヤントーに比べると、生花苗沼はそれほど観光地ではなかったと思います。生花苗沼は1年に1日だけシジミ漁があります。2022年に見に行きました。時間が遅かったのか、ほとんど終わっていました。シジミ漁のため水が少なくなっているようです。
▼生花苗・・・沼の名前でしょうか。上原、ヲイカヲマイ。松浦、ヲイカマイ。玉虫、ヲヱカマナヰ。oika-oma-i「越えて・入る・もの」が多いようです。現在名の生花は生花苗の後略になります。
生花苗(おいかまない)地区は明治時代には当縁郡当縁村の一部、1906年十勝郡大津村に編入。1955年大津村から広尾郡大樹町に編入になりました。
▽晩成への道(大樹町生花)
今は、国道336号線と道道が生花のところで直交しています。以前は直交していませんでした。湧洞方面からの道は生花で突きあたり、T字路になっていました。忠類から明和の峠を越えて来た国鉄バスも生花の学校を過ぎ、少し南で右に曲がり、晩成方面へ向かっていました。写真は旧教員住宅付近から南東方向。左の塔の所に晩成への道(右)があります。バスはそこで曲がっていました。その道を行くと、今の国道と合流できました。曲がらずにまっすぐ進むと晩成社跡・生花苗沼に行きます。
▽晩成社跡(大樹町生花)
道道881号、生花苗川の依田橋を渡ると左です。1886年に晩成社が当縁牧場を開きました。ここで作られたバターが「マルセイバタ」です。晩成社史跡があります。晩成という地名の元になりました。
依田勉三住居。
他に、サイロ、井戸、室(むろ)の跡などの標柱があります。
依田勉三は伊豆出身。晩成社を率いて帯広などを開拓しました。帯広十勝では説明不要の人物なので、触れていませんでした。
◆晩成小学校(大樹町晩成)
古い地図には学校の記号があり、周りに道があります。神社の記号もあります。学校へは南北から行ける形になっていました。今、そこへ行く道がありません。学校がなくなり、神社も移転したのでしょう。50年以上前に閉校になったとはいえ、何か不思議な感じがします。
忠類晩成3号線から晩成小学校への道があったあたり。牧草地になっていて、道はわかりません。学校は正面の丘のやや左にあったようです。1933年晩成特別教授場として開校、1941年晩成国民学校に。1969年生花小学校と統合しました。
こちらは北側の旧道から学校跡方面。正面の丘あたりにあったのでしょうか。