しのうしのブログ

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《十勝29》廃校・廃線 十勝東南部 <仙美里=勇足-浦幌-豊頃> (4/7)

廃校 養老小中学校新養老小学校 
駅逓 下浦幌駅逓 

《十勝29-4》廃校・廃線 十勝東南部 <養老-生剛> 

養老小中学校浦幌町養老)


吉野から国道336号線を約3.5km進んだ所です。
養老小学校は、1911年統太分教場として開校、1914年養老尋常小学校になりました。1982年豊北小学校と統合して、新養老小学校になりました。
併置の養老中学校は1953年に開校。1974年に浦幌中学校と統合しました。

1896年、岐阜県衆議院議員大野亀三郎氏らが岐阜農場を開きました。岐阜農場の事務所は岐阜神社の北にあったようです。
養老という地名は、岐阜県にある有名な養老の滝から名付けられたそうです。

新養老小学校浦幌町養老)


旧養老小学校の所です。今は新養老コミュニティセンターです。この日は車が数台停まっていました。
1982年養老小学校と豊北小学校が統合して新養老小学校になりました。2001年に浦幌小学校と統合しました。


グランドの端に碑があります。学校側は沿革史、道路側は校歌になっています。


校門の前の道、教員住宅と学校との間の道は、旧浦幌川で行き止まりだったのですが、1981年頃に橋ができたようです。

下浦幌駅逓浦幌町生剛)


新養老小跡から旧浦幌川を越えて北になります。この付近は、浦幌発祥の地です。当時は生剛村。戸長役場、下浦幌駅逓所、浦幌尋常小学校簡易郵便局、駐在所等があり、市街地でした。発祥の地として公園になっています。近くに駅逓がありました。


駅逓のあったあたりから林の所にある発祥の地公園を望みます。1903年、鉄道の駅が今の浦幌にでき、1905年に生剛村役場も移転しました。公園以外は畑になってしまいました。

生剛・・・旧浦幌川が流れています。旧浦幌川の左岸が生剛、右岸が養老。永田、opetka-usi「川岸」。更科、オ・ペッ・カ・ウシ「尻を川の上に突き出した所」。山田、o-pet-ka-usi「(山の)尻を・川の・岸に・つけている・もの」、など。浦幌川が十勝川と合流するあたり、十勝太遺跡展望台がある付近でしょうか。
生剛(おへこはし・おへつこうし)村がありました。1906年に愛牛(あいにうし)村と合併して生剛(せいごう)村になりました。1912年に浦幌村と改称しました。
辞書を引くと生える(おへる)がありました。剛しはゴウし、コウ(カウ)し、になるそうです。

浦幌川・・・十勝川の左岸支流です。意味には諸説あります。オラプ・オロ「山シャクヤク・多いところ」。ウララ・ポロ「霧が・多い」。ウライポロ「大なる網代」、など。
直線化されましたが、旧浦幌川はかなり蛇行しています。