しのうしのブログ

たまに外出

《十勝29》廃校・廃線 十勝東南部 <仙美里=勇足-浦幌-豊頃> (5/7)

廃校 旅来小学校安骨小学校 
駅逓 旅来駅逓 

《十勝29-5》廃校・廃線 十勝東南部 <旅来-安骨> 

十勝川を越えて西へ進みます。

旅来小学校豊頃町旅来)


道道320号沿いです。校舎はありません。校地の北側(右)に旅来酪農センターがあります。


入ると建物の前に碑があります。右は開基百年と開校80周年記念碑。


左は懐黌。右上の校章に気をとられ、裏を撮り忘れたようです。
1900年旅来簡易教育所として開校、1984年大津小学校と統合しました。

旅来駅逓豊頃町旅来)


1900年頃 設置。旅来チャシの崖下だったそうです。チャシは神社のあたりだと思われますが、駅逓の場所がよくわかりません。

旅来渡船豊頃町旅来-浦幌町愛牛)


旅来小学校から北へ1㎞程進むと、道道320号沿いに「旅来渡船記念の碑」があります。裏は沿革。旅来渡船は付近の十勝川に1907年からあったそうです。最後は国道336号線の渡船として1992年11月頃までありました。川を渡る最後の国道の渡船といわれていました。ここから5㎞ほど南に十勝川河口橋が完成したため廃止されました。
渡船は右の堤防の道を越えたあたりと思われます。

旅来・・・意味がはっきりしないようです。tapkop-ray、tapkop-ray-pet等があります。tapkopはたんこぶ山(丸山)、rayは死んだ。ray-petは死んだ川で流れのあまりない川だそうです。
中川郡旅来(たびこらい)村がありました。1906年合併して十勝郡大津村大字旅来村になりました。

安骨小学校豊頃町安骨南39線東292)


道道320号線から300mほど西に入ります。農家さんの敷地になっているようです。住宅の前に校門が残っています。表札は「豊頃村立安骨小學校」。東(左)側にも門柱があったようですが、建物ができています。門柱は移設されているのかもしれません。


西にある神社跡に上りました。


上から門柱が見えます。


校舎の場所はわかりません。牛舎等が立ち並んでいますが、この範囲のどこかにあったものと思われます。1905年安骨特別教育所として開校。1917年に安骨尋常小学校。1963年茂岩小学校と統合しました。

安骨・・・casi-kot「砦・跡」から変化したようです。チャシコツに安骨を当てたので「あんこつ」となったようです。
十勝川右岸に安骨(ちゃしこちゃ)村がありました。1906年合併して豊頃村大字安骨(あんこつ)村になりました。