学校 旧広尾小学校 、広尾教育所跡
駅逓 広尾駅逓、トカチ会所
◆旧広尾小学校跡(広尾町西4-9)
十勝で最も古い小学校です。
体育館のすぐ横に校門があります。さらに前の校舎はグランドの所(右側)にあったので、旧校舎時代からの校門かもしれません。
校地は仙台藩トカチ陣屋があったところで、左方の木々の中にその記念碑が建っています。
1879年私立広尾教育所として開校。1881年に公立広尾学校、1892年広尾尋常小学校になりました。2011年広尾第二小学校と統合し、広尾小学校になりました。場所は旧広尾第二小学校です。
旧広尾第二小学校が広尾小学校に統合されたことになっているのかもしれません。統合のため両校廃止にすると、十勝最古の歴史が途絶えてしまいます。
1859年仙台藩が設置した陣屋跡。面積は約1.2ha。旧広尾小学校の敷地の一部になりました。土塁などが残っているようです。「仙台藩陣屋跡」碑の他に説明板が設置されています。
「仙台藩トカチ陣屋跡」と、昭和40年(1965)の広尾小学校改築工事の際に解体された「仙台藩陣屋跡の井戸枠」が広尾町指定文化財になっています。
倒れそうになった標柱があります。広尾駅逓の原点は寛政時代からあったそうです。明治2年の取扱人若松忠次郎。明治13年(1880年)から茂寄駅逓所になったようで、その廃止年不明。1898年に再設置、1933年に廃止されました。大樹まで6里15丁。
依田勉三が、明治15年7月4日に佐々木三次郎方に、明治16年5月3日若松金次郎方に宿しています。
▼広尾川・・・広尾市街地の南で太平洋に注ぐ川です。意味は諸説あります。pir-orで「陰の所」、piruy-petで「砥石の川」、pira-oroで「崖の所」、pi-oroで「小石の所」、など。
広尾川はすぐ上流で二股になっています。西広尾川はコイカクシピロロ、東広尾川はコイポククシピロロだそうです。上流に向かって右の川がコイカになっていることが多いようです。
▽トカチ会所(広尾町会所通)
トカチ会所は文化年間に浜から高台に移ったそうです。ここの南で階段を降りたところにビロウ運上屋跡があるそうです。
このあたりに標柱があったようですが、発見できませんでした。何か事情があるのかもしれません。
会所跡を探しながら移動していると、広尾小学校の前身、「史跡 広尾教育所のち広尾学校跡」(本通4)の標柱を見かけました。
▼茂寄・・・もよろ。もより、とも。moy-or「入江・の所」で海岸の地名。モヨロは網走のモヨロ貝塚が有名です。
茂寄村がありました。1906年大樹村、歴舟村、当縁村(一部)と合併して茂寄村大字茂寄村になりました。1926年広尾村大字広尾村と改称しました。
▽黄金道路(広尾町会所前1)
広尾川手前のパーキングに表示があります。えりも町庶野にも望洋台があります。一般に広尾から庶野まで続く海岸沿いの国道336号線を黄金道路と呼んでいます。
国道の横にある滝です。不透水層である中の川層群の上にある礫層を通って、ここで湧出しているそうです。写真ではわかりませんが、幾筋もあります。