《十勝27-2》 廃校・廃線 広尾線③・国鉄バス晩成線 <忠類-生花>
国鉄バスのバス停。21号くらいでしょうか。バスに乗っていたとき、明和バス停は印象が薄いのですが、明和バス停の手前の忠類幌内のバス停がなぜか記憶に残っています。幌内がよくある地名だったからかもしれません。当縁川の左岸支流に忠類幌内川があります。
◆明和小学校(忠類村明和)
道道319号線沿い、生花へ向かう峠の入口付近です。幕別町の説明板があります。
グランド跡は建物が並んでいました。奥の方の建物は、校舎があった位置だと思われます。校舎のように見えますが、はっきりしません。
1932年忠類尋常小学校幌内特別教授場として開校、1936年明和尋常小学校に。1972年忠類小学校と統合しました。
▼忠類幌内川・・・当縁川の左岸支流です。アイヌ語でkoyka-kus-topuy「東を・通っている・当縁川」だそうです。ポロナイというのは別称でしょうか。
▽明和の峠(大樹町生花)
明和から生花方面へ向かうバスは曲がりくねった峠道を通っていました。いかにも昔の峠越えという感じでした。今は迂回する新道ができています。
峠越えの旧道の入口です。
忠類側の登りです。
生花側からの峠方面です。ロープがあり、廃道のようで通れそうもありません。
△明和の峠の有孔虫(大樹町生花)
かなり前でいつだったか覚えていないのですが、明和の峠の旧道の斜面に有孔虫化石を採集にいったことがあります。昔この道をバスで通ったことがあったと思い出しながら探しました。大きさは3mmくらい。はじめは見つけにくいのですが、1個見つけると不思議に次々と見つけることができました。小さいのでうまく撮影できませんでした。
有孔虫は単細胞生物。殻に細かい孔があることから名付けられたそうです。
◆生花小中学校(大樹町生花基線)
道道881号線沿いにあります。校門の左に閉校の碑がありました。校舎は門から縦に建っていました。
閉校記念碑「学舎の跡」です。
グランド跡に、2022年11月人工衛星用地上局として、アンテナができました。
生花小学校は1899年成器簡易教育所として開校、1905年生花苗簡易教育所になりました。1961年に生花小学校と改称。2006年に大樹小学校と統合しました。
生花中学校は1947年生花苗中学校として併置で開校。1961年に生花中学校と改称。2006年大樹中学校と統合しました。
右側のグランド跡のさらに右、消防会館のあたりに教員住宅がありました。離れていると感じていました。どうも、旧校舎はグランドの向こう側に横に建っていたようです。
▽生花苗駅逓 (大樹町生花基線)
道道881号沿いで、生花小中学校跡の向かい側。建物はなくなっています。五十嵐商店の倉庫のところに説明板があります。
1913年に開設、1946年までありました。