しのうしのブログ

たまに外出

足寄川方面へ行きました (1/2)

廃校 東小学校旧東小学校 
廃駅 足寄駅 
廃線 池北線、足寄森林鉄道、白糠線未成線 

<足寄駅-足寄町新町>

・昨年、上足寄小中学校の旧校舎跡を訪ねるのを忘れていたので、化石教室のついでにいろいろ回ってみました。《十勝7》と《十勝21》の補足になっています。

●足寄森林鉄道足寄町北3-1)


足寄駅から北東の貯木場への支線が、このあたりで国道を通っていました。
先の左の建物とその奥に貯木場があったようです。そこから足寄川とその支流に足寄森林鉄道が延びていました。

●足寄駅足寄町北1-1)


1910年網走線の駅として開業。2006年ふるさと銀河線廃線により廃止になりました。北側の駐車場からです。奥にある道の駅の位置が駅跡。
白糠線は1969年から工事が始まっていましたが、中止になりました。ルートは、足寄駅から南に進み、東に分岐-利別川-東小学校の東-旭町-新町-中足寄、だったようです。

●白糠線予定線跡(足寄町南7条・旭町2)

白糠線はこの先で池北線から東(左)に分岐する予定だったようです。


分岐後、白糠線はこのあたりで国道を渡り、南東へ進みます。右の建物が道路に対して斜めになっています。国道は高架の予定だったのでしょうか。
そのあとは大きく左に曲がり、北東に進み利別川を渡ります。利別川の橋脚はできていたそうです。


橋を渡ると盛土で、旭町2丁目と旭町4丁目の道路は鉄道が上を通る予定だったようです。ここは旭町2丁目付近。右は盛土にも見えます。

足寄町東小学校足寄町旭町1)


2年前は門の右に「教育発祥の地」の看板がありました。この写真には写っていませんでした。写真の角度が悪かったのでしょうか。
1902年足寄簡易教育所として開校。1917年足寄尋常小学校に。1928年新町会館付近に移転。1955年足寄村と西足寄町は合併、東小学校になり、当地に移転。2000年足寄小学校(旧西小)に統合しました。


校地の南東側を白糠線が通る予定でした。左に見える校舎の奥の方が白糠線予定線の場所。

旧東小学校跡(足寄町新町6-11)


新町会館を見つけられないのですが、足寄自治会会館があるので、1955年までの場所はここではないかと思われます。国道から現在の入口。入って右の国道側が校舎、南(奥)側がグランドだったようです。


南から校地へ向かう道路があります。南側から見た校舎(北・国道)方面。正面右が校舎、手前の右がグランド跡でしょうか。


校舎付近からグランド跡方面。左が自治会会館。

・旧東小の位置が正しかったとすると、次の2点が関係します。

●足寄森林鉄道跡(足寄町新町)


旧東小学校校地の南側を通っていたようです。右(北)に見えるビニールハウス、一つ上の写真にある緑の倉庫が南からの道路に対して少し斜めになっています。建物は林鉄の路盤に沿っているように見えます。

●白糠線路盤跡(足寄町新町)


東小学校の移転後に路盤ができました。国道側だったようなので、校舎跡付近を通っていたのかもしれません。
国道からの入口の右。電柱の右に国鉄事業団北海道支社の杭があります。

南からの校舎跡方面。正面に国鉄事業団北海道支社の杭があります

ここの南西は、足寄川が山にせまっているため、国道・森林鉄道、(後の)白糠線もこのあたりを通ったようです。