廃校 泊別小学校、中庶路小中学校、上庶路小中学校
廃線 明鉱本岐炭鉱線
駅逓 上庶路駅逓
《釧路1-9》 廃校・廃線 白糠線・根室本線下り② <泊別-上庶路>
◆泊別小学校(白糠町庶路東2線54)
地形図の泊別神社の北の平らな所でしょうか。坂を登ったところのようです。
中に入ってみると、平地で学校跡のようでもありますが、何もないので違うような気もしてきます。1925年庶路尋常高等小学校泊別特別教授場として開校し、1935年に泊別尋常小学校と改称。1977年庶路小学校と統合しました。
▼トマリベツ川・・・庶路川の左岸支流です。to-para-petで「沼・広い・川」だったそうです。para-toは他所にもあり、湿地のイメージがあります。
◆中庶路小中学校(白糠町庶路基線)
道道242号沿い、グランド跡の道路沿いに校門があります。
入り口の右が校舎、左がグランドだったようです。周辺に建物があり、元校地は小さくなっているようです。右の体育館跡にある多数の建物は何かわかりません。
グランド跡に幼稚園だった中庶路集会所があります。
集会所の西に中庶路小学校跡の碑。裏には校歌と児童名・職員名があります。中庶路小学校は、1909年庶路尋常高等小学校の分教場として開校、1930年中庶路尋常小学校に。本岐炭鉱が近くにありました。1969年に本岐炭鉱が閉山。1976年庶路小学校と統合しました。
中庶路中学校は1947年庶路中学校中庶路分校として小学校併置で開校し、中庶路中学校に。1973年庶路中学校と統合しました。
本岐鉱山は1924年開鉱。1941年明治鉱業に買収。1969年に閉山。ケトンチ川沿いにあったようです。本岐鉱から庶路鉱まで専用線が延びていました。庶路鉱付近にトンネルがありました。
ロープで入れませんが、この先に炭鉱があったようです。
その少し北の建物群の一部。
▼ケトンチ川・・・庶路川の右岸支流。keto-un-cise、「皮張棒・ついている・家」の末尾のセが落ちたものだそうです。
◆上庶路小中学校(白糠町庶路基線)
高速道路よりも北にあります。道東自動車道の庶路インターチェンジ出口から約4km。道道242号のカーブの所に上り坂があります。登り口に校門、その左に記念碑があります。
左の閉校記念碑です。
裏には沿革があります。木が生えていて全体を撮影できません。その文章。
『本校は明治四十四年四月庶路尋常小学校附属上庶路特別教授所として開校し、以来小学生四百三十五名中学生百四十九名が巣立った。
昭和五十三年中学校を庶路中学校へ統合し、いま小学校を失うに当たり惜別の念深く、永遠の心のふるさとの地として、熱いおもいを此処に残すものである。
平成五年三月三十一日 上庶路小学校 閉校記念事業実行委員会建立』
登った所に校舎が残っています。左端は体育館。右側にグランドがありました。上庶路小学校は、1911年に開校し、1917年上庶路尋常小学校に。1993年庶路小学校と統合しました。
校舎の東にオブジェがあります。何の碑なのかはわかりませんでした。
上庶路中学校は、1947年庶路中学校分教場として開校。1951年上庶路中学校になり、1978年庶路中学校と統合しました。
▽上庶路駅逓(白糠町上庶路)
1931年設置、1945年廃止。取扱人長谷川為蔵氏。場所等不明。写真は、上庶路小中学校の下にある集落跡です。
▼庶路川・・・西庶路と庶路の間で、太平洋に注ぐ川です。上原、シヨロロで「順風」。永田、so-ri-oroで「瀑布高き処」。白糠地名研究会、so-oro-ruで「滝・に向かっている・道」。駅名の起源、so-oroで「滝の所」。庶路川上流にso(滝)があります。
旧庶路村は1915年合併して白糠村大字庶路村になりました。