《釧路1-3》 廃校・廃線 白糠線・根室本線下り② <上茶路駅=縫別>
◆上茶路小中学校(白糠町上茶路基線)
国道の東、上茶路集会所の向かい側に校舎がありました。校地に入る所に校門があったようです。
校地内に入ってみると北側が高くなっています。体育館などは一段高い所にあったようです。グランドは南(右)側。
2010年建立の記念碑「幸せを待つ心」は集会所の南にあります。台座は校門を使用しているようです。
裏に上茶路中学校のプレートがあります。上は小学校開校などのことです。
上茶路小学校は、1916年上茶路第二特別教授場として開校、1930年上茶路尋常小学校に。1976年北進小学校と統合しました。
上茶路中学校は1959年小学校併置で開校、1962年校舎完成。1975年北進中学校と統合しました。
出かけるところだったようで、地元の方とお会いしました。昔は学校にたくさん生徒がいたそうです。現在、周辺にほとんど人が住んでいないとのことです。
●上茶路駅(白糠町上茶路基線)
1964年、上茶路駅は当時の白糠線の終着駅として開業しました。下北進駅から5.5km。1983年白糠線の廃線で廃止となりました。上茶路集会所の南を西に入ります。道道だったはずですが草だらけです。
正面は駅前ロータリーの跡でしょうか。駅舎はその向こう側にあったようです。
駅跡にホームが二つ残っています。
こちらは東側のホーム。
西側にあるこちらのホームが使われていたようです。駅名標の枠があります。茶路川の上流部で上茶路。地名は広い範囲にわたっています。
上茶路炭鉱は1964年4月に開坑、1970年2月に閉山。茶路川右岸支流のシュウトナイ川上流だったそうで、上茶路には炭住がありました。
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※上茶路駅の南にあった踏切付近。西側の線路跡の横にレールが見えます。
※第10茶路川橋梁。国道の松五郎橋の東に見えます。
※国道も越えていた第10茶路川橋梁の橋脚と橋台。松五郎橋の南の国道から。
※第10茶路川橋梁。国道から。
国道上の橋桁は2022年に撤去されたそうです。
※出合川橋梁。国道の西に見えます。
※第9茶路川橋梁。国道の千代橋の南に見えます。
左岸側の築堤がなくなっています。その奥に見える橋は道東自動車道の茶路川橋。
※絹川橋梁か。国道の南に見えます。
※第1千代川橋梁。国道の佃橋の南に見えます。
※第8茶路川橋梁か。国道から南に見えます。
※第7茶路川橋梁。国道から少し東にある観渓橋の南に見えます。
※これも第7茶路川橋梁。北側の橋台付近。観渓橋南の道路から。
※観渓橋の北側。線路跡沿いの小屋の先に第8茶路川橋梁があります。
・国道ではなくこの道を南へ進みました。
※縫別トンネルの白糠側。第6茶路川橋梁の南西の道路から。
※第6茶路川橋梁。縫別駅跡の西、道路橋寿橋の北に見えます。
※第5茶路川橋梁。縫別駅西の道路橋高砂橋の北に見えます。
堤防工事のためでしょうか、左端がつながっていないようです。わりと長い橋です。