しのうしのブログ

たまに外出

《釧路1》 廃校・廃線 白糠線・根室本線下り② <浦幌-北進=白糠=庶路-上庶路> (1/9)

・釧勝峠から釧路管内に入ります。白糠線を通り庶路方面へ。

廃校 左股小学校北進小中学校 
廃駅 北進駅 
廃線 白糠線 
駅逓 茶路二股駅逓 

《釧路1-1》廃校・廃線 白糠線・根室本線下り② <浦幌-北進駅=下北進> 

釧勝峠浦幌町白糠町


釧路(白糠町上茶路)と十勝(浦幌町川上)の間にある国道274号線の峠です。現在は釧勝トンネルで通り抜けます。右の細い道路は旧道のようです。

左股小学校白糠町上茶路基線北10番1)


国道274号線沿いのここから入ったのでしょうか。


柵があり中へ入れないので、柵の所からです。この先にグランド、その北(右)に校舎があったと思われます。
1918年茶路第二尋常小学校(茶路小)上茶路第四特別教授場として開校。1930年に上茶路第二尋常小学校、1956年に左股小学校と改称しました。1968年北進小学校と統合しました。

右股化石掘白糠町上茶路東2線か)


足寄動物化石博物館の化石教室で化石掘りに2回行きました。茶路川上流、一般に右股と呼ばれているところ。二股の集落から道道143号経由で約10.5kmの所が化石掘りの場所でした。

白糠線の鯉方信号場予定地は北進駅から10.2km余だったようです。ここより北にある石の花川付近でしょうか。信号場の近くまで来たのかもしれません。
道道の舗装が終わってから北はクマの糞などがあり、一人で行くには少し勇気が必要です。


舗装の切れるあたりに右股の学校(第三特別教授場か)があったようです。1922年に左股に吸収されたそうです。

<白糠線>
1958年 着工
1964年 白糠-上茶路間開通
1972年 上茶路-北進間延伸。工事凍結
1983年 廃止

●北進駅白糠町二股)


二股の集落から東へ坂を下って行きます。下った所から白糠方面。ホームは線路の西(右)側にありました。手前側に当たるホームの左に待合所があったそうです。


駅跡付近にみえる現在の轍は、白糠線線路の東側のようです。この先に第23茶路川橋梁があります。
1972年白糠線延伸で終着駅として開業。1983年白糠線の廃線で廃止となりました。北進駅の仮称は釧路二股駅でした。

北進小中学校白糠町二股)


校門があり、その後ろに閉校の碑「学びの里」があります。


校地の北(左)側に校舎があったようです。


東からグランド越しに見える閉校の碑と校門。北進小学校は、1934年上茶路二股尋常小学校として開校。1953年北進小学校と改称。2001年茶路小学校と統合しました。
北進中学校は、1947年白糠中学校上茶路二股分校として開校し、1952年に上茶路二股中学校、1953年に北進中学校と改称しました。2001年茶路中学校と統合しました。

北進・・・上茶路二股小が北進小と改称したのが1953年。北進に変わった理由はわかりません。北進駅はその19年後にできました。
1953年は白糠-足寄間が予定線になりました。同年、町道白糠本別線(後の国道392)が指定されたようです。関係があるのかもしれません。

茶路川は二股で左股のルークシチャロと右股のコイカタチャロに分かれます。ru-kus-caroは「道・通っている・茶路川」。山を越え、足寄の稲牛方面へのruだといいます。古来、北へ進む道はあったようです。
白糠線未成線の鯉方信号場はコイカタホロカチャロからでしょうか。

茶路二股駅逓白糠町二股)


1926年に設置、1941年に廃止になりました。取扱人は矢島房吉氏。場所等不明。写真は北進小中学校跡の北の道沿いにある、二股の集落です。

◎ここからは白糠線の橋梁などを道路付近から見ながら進みます。(橋梁等撮影は2023年5月2日)

第21茶路川橋梁か。国道から南東に見えました。

第20茶路川橋梁。国道の東に見えます。奥の橋は北進橋。

※同じく、第20茶路川橋梁。北進橋付近から北方向。

※北進駅と下北進駅の間で、国道を斜めにまたいでいた陸橋(道道白糠本別線跨道橋)の橋台。

橋桁は2021年に撤去されたようです。

渓沢川橋梁。国道の渓川橋の西に見えます。