《釧路1-6》 廃校・廃線 白糠線・根室本線下り② <共栄仮乗降場=白糠>
●共栄仮乗降場(白糠町茶路共栄)
1974年白糠線の共栄仮乗降場として開業。茶路駅から2.3km。1983年白糠線の廃線で廃止となりました。茶路小中学校入口から南へ約400m、国道沿いです。ホームは国道側。このあたりと思われます。
※蓮華沢橋梁。共栄仮乗降場の南。国道のすぐ東にあります。
この沢はekasi-hotke-nay「古老・伏している・沢川」説があるようです。そうならば、ホッケ→法華経→妙法蓮華経、とつなげることもできますが。沢名が正しいかどうかはわかりません。
※ラサ川橋梁。国道の北に見えます。大苗川にかかる橋梁。
川名は、昔からヲウナイ・オオナイだったようです。現ラサ川は北にあるようです。
●上白糠駅(白糠町相互)
1964年白糠線の上白糠駅として開業。共栄仮乗降場から3.5km。1983年白糠線の廃線で廃止となりました。国道から北に入った所にありました。
入ると駅跡周辺は広場になっています。ホームは線路の南側(国道側)。右に待合所がありました。
上白糠は白糠よりも茶路川の上流にあるからでしょうか。
●加里庶炭鉱軌道(白糠町茶路)
加里庶炭鉱は1914年に開かれました。1919年から開北炭鉱が採炭。このときに専用線を敷きました。1938年に閉山。その後、1957年から2年間、採炭が行われたそうです。
加里庶炭鉱の石炭を運ぶため、白糠駅北側から、現国道沿を北上し北9丁目付近から右へ、カリショ川上流の炭鉱まであったようです。正面の道がカリショ炭鉱跡に向かう道です。
▼カリショ川・・・茶路川の左岸支流です。上流に加里庶炭鉱がありました。永田はkari-soで「曲磯?」。白糠地名研究会は、kar-soで「作る・敷物」。
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※白糠線が国道392号線を渡っていたあたり。草むらは線路跡と思われます。