廃校 明正小中学校、中伏古小学校、新栄中学校、北伏古小中学校
学校 芽室南小学校
◆明正小中学校(芽室町坂の上10線11号)
坂上駅から道道62号を南へ約1.5km。交差点付近に閉校記念の碑があります。
隣に公徳碑と「以徳報徳」がはずれた二宮像があります。
グランドの向こうに校舎があったのですが、残っているのは当時から生えている木だけでしょうか。正面の木の手前に校舎があったようです。
明正小学校は1912年上伏古別特別教授場として開校。1928年当地に移転、上伏古尋常小学校に、1930年に明正尋常高等小学校。1988年新設の芽室南小学校に統合しました。
併置の明正中学校は1949年明友中学校として独立しました。
南側にある2018年閉所の明正保育所も解体されそうです。
閉校後に公民館(会館)ができるのはよく見かけます。学校閉校→農村(へき地)保育所→保育所閉所、このパターンもあります。
校門があります。正面は、2018年閉所の中伏古保育所でしょう。
校門の右に閉校記念の碑「学舎の碑」があります。
現在、校舎は画家の美術館になっています。
1919年下伏古特別教授場として開校。1930年に中伏古尋常小学校。1988年新設の芽室南小学校に統合しました。
美術館には村元さん親子の絵があります。以前、美術館で絵を見せていただいたことがあります。
中伏古保育所は解体されるようです。
北伏古小学校跡から南へ約1.5km。駐車場に平成球場という表示がありますが、駐車場入口に鎖がありました。
内野のあたりに校舎があり、レフト側にグランドがありました。
1948年芽室中学校北伏古分校から独立して開校。1973年芽室中学校と統合しました。
このソーラーパネルの所までが校地(グランド)だったようです。後ろの林の向こう側が平成球場です。
校舎が残っています。現在、使われていないようです。
交差点の所に閉校の碑と二宮像があります。
閉校の碑の南、道路沿いに校門があります。
何かがぶつかったのでしょうか、校門は傷んでいるようです。
伏古村は1915年南6線以北が帯広町になったため、北伏古小学校は、1915年伏古特別教授場として開校、1930年に北伏古尋常小学校。1953年校舎落成。1988年新設の芽室南小学校に統合しました。
併置の芽室中学校北伏古分校は、1948年独立して新栄中学校になりました。
学校の横は通勤のため、3年間くらい車でよく通りました。ランニングでも一度来たことがありました。
▼入印・・・明治44年の地形図にある地名です。明治29年の地形図では、ニラツルシ。帯広市と芽室町の境付近にあった帯広川河畔の地名です。少し離れた場所、帯広川左岸支流の大成川上流にニュージルシ川と書いた地図がありました。気になる地名です。
◆芽室南小学校(芽室町新生南6線)
1988年、今回巡った北伏古小学校、中伏古小学校、栄小学校、明正小学校、上伏古小学校などが統合してできました。現役の小学校です。
久しぶりに見る景色です。ここの前の道はランニングで何度も通りました。
▼伏古・・・huskoは「古い」。古川などにつきます。フシコが付く地名は道内各所にあります。ここの伏古は松浦のフシコオベレベレフでしょうか。現在の伏古別川は十勝川の古川にも見えます。
帯広川左岸の地域に伏古村がありました。1915年南6線以南が芽室村に以北が帯広町に編入されました。小学校名に伏古がつくのは、地域名のためです。
古くから帯広市街に住む人が、伏古というと、今の西帯広のことでした。西帯広駅は1954年まで伏古駅でした。今はもう、西帯広のことを伏古と呼ぶ人はあまりいないと思われます。