しのうしのブログ

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《十勝23》 廃校・廃線 十勝鉄道② <常盤=上帯広-上美生=坂上> (3/4)

《十勝23-3》 廃校・廃線 十勝鉄道② <上美生=坂上>

廃駅 (十勝鉄道)上美生駅新嵐山駅美生駅坂上駅 
廃線 十勝鉄道(美生線) 

●(十勝鉄道)上美生駅芽室町上美生4線)


1924年開設、1940年廃止された十勝鉄道の駅です。十勝鉄道は4線を南下していました。上美生市街に入ってからの路線、駅の位置がはっきりしません。
駅舎は左のヤマザキ(旧Aコープ)を過ぎたあたりで、ここの少し先にあったようです。

高野極楽園芽室町上美生10線)


むかし連れて行ってもらったのですが、場所は思い出せません。高野千代之助氏が自分の林の中で、木を使って人物などいろいろなものを作っていました。1980年に閉園しました。
上美生の地図で高野千代之助氏宅の印がこの道に入り少し先でした。極楽園の場所はこの付近で、渋山川寄りだったようです。渋山川は写真の右奥を流れています。

●(十勝鉄道)新嵐山駅芽室町上美生2線)


1927年頃開設か、仮停車場と書いたものもありました。1940年廃止された十勝鉄道の駅です。正確な場所がわかりません。
上美生駅が正確にわからないのですが、そこから3.7㎞というデータがあります。4線を通るとすると、現在の道道55号がカーブするあたりになります。道路は変化しているようです。
当時、季節によっては、行楽地として人が集まったそうです。

新嵐山芽室町美生)


標高339mの山の名前でもあります。明治頃の地図ではヤウンタプコプ、大正の頃の地図で雨山となっています。南の上美生付近からの新嵐山です。
十勝鉄道の駅は新嵐山駅。なぜ新のつく新嵐山となったのでしょう。他の所に嵐山駅があるので、新嵐山駅と名付け、その名が周辺の地名になった可能性はあります。一般の会話では、「嵐山へスキーに行った」のように単に嵐山が多いです。

●(十勝鉄道)美生駅芽室町中美生2線7号)


1924年開設、1940年廃止になった十勝鉄道の駅です。中美生1線から西方向です。正面の道は十勝鉄道が通っていた7号です。ここの400~500m先に美生駅があったようです。
後ろにある美生川を渡ったあと7号を通り、駅の先(西)で左に曲がり2線に沿って上美生へ向かいました。


道道55号から7号の東向き。少し先に見える2線道路の先に美生駅があったようです。今は畑の中です。2線へ右に曲がり新嵐山駅へ向かっていました。


美生駅から北、中美生(現・美生市街)の豆の集荷倉庫まで引込線があったそうです。引込線の終端あたりです。
美生中学校の校門があったあたりからの撮影です。

●(十勝鉄道)坂上駅芽室町坂の上10線8号)


1924年開設、1940年廃止になった十勝鉄道の駅です。美生駅から美生川を渡り、段丘を上がります。線路の南(右)側、坂の上コミュニティセンターあたりに駅があったようです。
線路はここから正面の道を東へ向かい、常盤駅を経て、藤駅まで伸びていました。


芽室から道道62号を南下すると、徐々に標高は上がっていますが、特に坂の上という感じはしません。
美生から美生川を渡ると、川の両岸は標高約125m前後。坂の上駅は段丘の上にあるので、150m位です。そのため坂の上というようです。駅名からこの付近の地名になった可能性はあります。


林の向こうが美生川です。美生川から正面の道の木のあたりの段丘崖をこちらへ登り、正面の道から右へ曲がり坂上駅へ向かっていたようです。(坂の上11線8号より)

建物の向こうに美生川があり、対岸に崖が見えます。十勝鉄道は美生川を渡ると崖の上の段丘面を坂上駅に向かっていたようです。(美生1線9号付近より)