しのうしのブログ

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《十勝14》 廃校・廃線 河西鉄道② <芽室-鹿追> (1/3)

廃校 西士狩小中学校芽室太尋常小学校毛根小学校松沢小中学校熊牛第二中学校
廃駅 (河西鉄道) 関山貨物駅南熊牛駅
廃線 河西鉄道(十勝鉄道)

《十勝14-1》 廃校・廃線西鉄道② <芽室-鹿追>

<河西鉄道>
1921年 日本甜菜製糖が専用軌道敷設。
1923年 日本甜菜製糖は明治製糖に吸収合併。
1924年西鉄道設立。762mm区間が明治製糖より譲渡。
1925年 下清水-鹿追、熊牛-北熊牛、熊牛-南熊牛、下幌内-上幌内間開業。
1926年 清水-下清水間開業。
1928年 鹿追-万代橋、南熊牛-関山間延長。1067mm区間(清水駅-工場?)も明治製糖から譲渡。
1946年 十勝鉄道と合併、十勝鉄道清水部線となる。
1949年 下清水-熊牛間以外の旅客休止。
1951年 全廃。(1067mm区間は現・日本甜菜製糖に譲渡)

・芽室から河西鉄道周辺の廃校巡り

西士狩小中学校芽室町西士狩北4線西17号)


道道75号沿いにあります。古くなった校門と校舎・体育館が残っています。校門の左に閉校の碑や二宮像があります。福祉系の施設が東側に建っていて、校地を使用しているようです。西士狩小学校は1897年開校、1898年西士狩簡易教育所となりました。1999年芽室西小学校と統合しました。併置していた芽室中学校西士狩分校は1947年開校、1951年芽室中学校と統合しました。
たしか高校の遠足の時、給水所として寄ったことがあったと思います。

士狩・・・然別、つまり士狩別の下略でしょうか。十勝川左岸に西士狩村がありました。1906年合併して芽室村大字西士狩村になりました。現在の西士狩、北明、平和、祥栄などで芽室町の北東部です。東士狩村は現在の鹿追町などです。

芽室太尋常小学校芽室町毛根北5線)


町史に芽室太北5線西164とありますが、どこかはっきりしません。古い地図では現在の毛根コミュニティセンターの南に学校のマークがあり、そこの住所が毛根北5線なのです。そこの現在の様子です。ここが入口でしょうか。他の部分はソーラーパネルでいっぱいです。芽室太尋常小学校1906年北海道旧土人保護法により開設。1921年に廃止。児童は毛根尋常小学校に通ったようです。

毛根小学校芽室町毛根北5線)


道道75号沿いです。芽室太尋常小学校のすぐ北。道道から校舎とグランドが見えます。ここの道道を通るときいつも見えていました。校門の正面に毛根コミュニティセンターが建っています。


グランドの西側に閉校の碑があります。1899年ケネ簡易教育所として開校、1905年毛根尋常小学校に。1995年芽室西小学校と統合しました。
グランドの道道側に木が並んでいたように思うのですが、なくなっていました。使われなくなったグランドは草が生えてきますが、きれいになっていました。

毛根・・・keneはハンノキです。keneのつく地名は道内各所にあります。

●(河西鉄道)関山貨物駅(清水町熊牛零号)


そのまま道道75号を進みます。1928年開設。甜菜用の貨物駅。「零号」と呼ばれていたそうです。1944年に清水工場で砂糖の生産がなくなったため、駅は戦後に無くなったようです。道道734号との交差点付近で、清水町側だったとすれば、零号より北になります。75号の東側だったとすると、このあたり。
関山は小関祐孝・山本銀次郎両氏より名付けられたそうです。

●(河西鉄道)南熊牛駅(清水町熊牛西1線3号)


道道75号を北上します。1925年開設、1951年廃止の駅です。このあたりでは、線路は道路の西側だったようです。道道75号の西側のこの古い建物のあたりでしょうか。

松沢小中学校(清水町熊牛東1線3号)


南熊牛駅から東へ約1㎞。校舎、体育館が残っています。NPO松沢の郷が利用しているようです。


校門内側の右に閉校の碑があります。1904年松沢組特別教授場として開校、1905年松沢簡易教育所になりました。2005年清水小学校と統合しました。併置していた熊牛中学校松沢分校は1950年に熊牛第二中学校に統合しました。
1901年宮城県黒川郡大松沢村(現・大郷町)から入植しました。

熊牛第二中学校(清水町熊牛基線6号)


道東自動車道の少し北です。現在酪農家の敷地となっているようです。6号沿いに校舎がありました。周りが木や塀で囲まれており、観察しづらいです。6号側の塀の間から。校舎らしくも見えます。


南側、熊牛基線から。地図では気がつきませんでしたが、段丘の上にあります。道道側からの生徒たちは坂を登って通っていたのでしょう。熊牛小学校併置の熊牛中学校が分離して1950年に開校、1971年御影中学校と統合しました。