廃校 目黒小中学校、庶野中学校
学校 庶野小学校
駅逓 猿留駅逓、庶野駅逓
・ビタタヌンケ川を渡ると日高管内で、えりも町に入ります。
えりも町に国鉄の路線はありませんでした。
◆目黒小中学校(えりも町目黒)
国道336号線から豊似湖方面へ行く道に曲がり、少し進むと右手にあります。右に曲がり校地に入ると、開校百周年記念碑がありました。
校舎は残っていて、森と湖の里ふれ愛館になっています。
校門は東の坂を登ったところにあります。門柱の右が小学校、左が中学校です。目黒小学校は1896年猿留?尋常小学校として開校、1942?年目黒国民学校になりました。2006年に庶野小学校と統合しました。
併置の目黒中学校は1948年幌泉中学校目黒分校として開校、1948年庶野中学校目黒分校を経て、1952年目黒中学校になりました。2006年えりも中学校と統合しました。
▽猿留駅逓(えりも町目黒)
1878年に設置、1936年に廃止。場所など詳細不明。1899年から駅逓は工藤さんがやっていたようです。工藤牧場の看板が見えたので集落を撮影しました。この先に郵便局や学校があります。
依田勉三が明治14年10月と明治15年7月に猿留で宿しています。
▼猿留川・・・目黒のところで太平洋に注ぐ川です。sar-orで「葭原の・中」のようです。sarorun-us-iで「鶴・多い・所」説もあります。興部に沙留があります。
旧猿留村は1906年合併して幌泉村大字猿留村になりました。現在の目黒です。目黒は目黒源吉氏の名前からだそうです。
10年ほど前に行った豊似湖です。
▽黄金道路(えりも町庶野)
広尾から続く海岸道路です。目黒の南にえりも黄金トンネル(4941m)という長いトンネルができました。国道336号線沿いに望洋台という展望台があります。
左がフンコツトンネル、その右が旧道のトンネルです。奥に見える海岸沿いの覆道などは旧道です。
北側にあるドンドン岩付近から。右がフンコツトンネル、左が旧道のトンネル。
・国道経由には、学校がないようなので、海岸に沿って道道を進みます。
・(広尾線終着)広尾-(日高線終着)様似間に、国鉄(現ジェイアール)バスの日勝線がありました。
1957年における主な停留所は、広尾-奮部-音調津-日勝目黒-美島-庶野-西庶野-有明-千平口-百人浜-苫別-襟裳-東洋-幌泉-様似。
◆庶野中学校(えりも町庶野)
庶野漁港の西です。ここは庶野小学校です。庶野中学校は庶野小学校に併置でした。
校地の東側に校門があります。右側の門柱は庶野中学校となっています。
1947年幌泉中学校庶野分校として小学校併置で開校、1948年庶野中学校になりました。2006年えりも中学校と統合しました。
◆旧庶野小学校(えりも町庶野)
先代だと思いますが、以前の小学校は庶野駐在所の横にある漁組の倉庫付近にあったようです。
庶野小学校は1881年に開校しました。1923年に校舎新築。1951年小中併置校を、庶野532-2 に新築とあります。Googleで調べると532番地と現在の506番地はほぼ隣接地。1951年の新築は現在地かもしれません。
▽庶野駅逓(えりも町庶野)
1885年開設、1912年頃廃止。取扱人は長岡庄兵衛氏か。場所など詳細不明。古くはこのあたりに郵便局があったようです。建物の後ろに旧道らしい道があります。
明治16年5月に依田勉三ら移民団が場所はわかりませんが庶野に宿しています。
▼庶野・・・松浦、シヤウヤ。so-yaで「磯岩の・岸」だそうです。so-yaは道北の宗谷と同じです。soはソでもショでも同じだそうです。ここではショ・ヤに庶野を当てたのでしょうか。
旧庶野村は1906年合併して幌泉村大字庶野村になりました。現在の庶野です。
日高山脈の地質の見学に来たとき、さくら公園で昼食をとりました。庶野の桜は知られています。