しのうしのブログ

たまに外出

釧路方面へ見学に行きました② 釧路海岸の地質(その3)

・更に東の方の海岸を観察しました。

汐見釧路町入境学)
地名は汐見となっていますが、入境学のようです。


高いところから東側を観察。海岸方面に見えるでこぼこは、地滑りでできたそうです。
第三紀の春採層の凝灰岩が滑り面となり、その上にある天寧層の礫岩層が地すべりを起こしたものだそうです。

・上の写真に写っている、ソーラーパネルのところから海岸へ行きました。


途中で見えた人の横顔に見える岩です。


このような歩きにくい石の所を少し進みました。


汐見層だそうです。資料によると泥岩。
ハンマーを持って行き、ちょっと化石探しも。

入境学・・・にこまない。「にゅう(ニフ)」+「きょう(ケフ)」+「まなび(マナヒ)」(←マナイ←ma-nay)。松浦の地図では、ニヲケヲマナイ。ニオッケ(木桶)やni-otke(木・絡みつく)説があります。
「学」で終わる地名に、知方学、手師学(てしょまない)があり、共に末尾は-oma-nayのようです。
1936年に開校し、1973年に昆布森小学校と統合した汐見小学校がありました。

道道を東へ進み、海岸へ下ります。

知方学釧路町知方学)


知方学を流れる川です。海岸へ降り、東の方を観察しました。


去来牛層だそうです。砂岩と礫岩が交互になっています。


近づいて見ると、乱れた葉理(ラミナ)があります。コンボルート葉理というそうです。まだ固まらないうちに流動化を起こし、変形したもの。

知方学・・・ちっぽまない。「ち」+「ほ」う+「まなび(マナヒ)」。「方」が「ポウ」となるのは前がッやンの時のようで、「チッポ」ウ。cep-oma-nay で「魚・いる・沢川」、またはcip-oma-nay で「舟・ある・沢川」。
道道から少し下ったところに、知方学(ちほまない)小学校があります。地滑りで1956年に現在地に移転したそうです (以前は海岸付近にあったようです)。
太洋中学校は1974年に知方学に移転、翌年小学校併置となり、知方学中学校と改称。1978年昆布森中学校と統合しました。

去来牛・・・さるきうし。「さる」(送り仮名込)+「き」(来の連用形)+「うし」。sarki-us-iで「アシ・群生する・所」。一般的な牛を使っています。

・坂を登って戻ります。左へ曲がり坂を下ります。

大黒岩釧路町老者舞)


老者舞の河口付近にある大黒岩です。この岩は老者舞層の礫岩でできています。
歩くのと写真を撮るのに疲れてきていました。バス座席の反対側だったのでこのような写真に。老者舞の牡蠣は有名だそうです。

老者舞・・・おしゃまっぷ。「老」い+「しゃ」+「舞フ」(←マフ←map)。o-ican-oma-p(川尻に・鮭鱒産卵場・ある・もの)、o-e-sam-oma-p(川尻・頭が・そば・ある・もの)等、諸説あり不明。河口付近にある、見学した大黒岩が関係しているといいのですが。
知方学中学校は1947年に太洋中学校として知方学小学校で開校。1948年に独立校舎が完成(老者舞27)。場所は老者舞の集落でしょうか。1974年に知方学に移転、1975年に知方学中学校と改称。1978年に閉校しました。

分遣瀬・・・わかちゃらせ。「分かち」(送り仮名込)+「遣(や)る」(送り仮名込)+「せ」。老者舞と賎夫向間の地名。wakka-carseで「水・チャラチャラと滑り落ちる」。

セキネップ展望広場釧路町入境学)


ちょっと休憩。夕日でしたが、降りるときカメラを忘れてせっかくの海の景色を撮れませんでした。写真は山側です。

賎夫向・・・せきねっぷ。読めません。松浦の地図ではセフヌンケフ、「賤」ん+「ふ」+向かう? 永田はチェプヌルンゲプで「石墜る処」。「キ」はどこから生じたのでしょうか。
近くの四等三角点に漢字の順序が違いますが、「賎向夫」(127.03m)があります。向の読みに、「さきに」「きょう」があり、キは入りますが、元となった地名がわかりません。

・現地まで案内をして、詳しい説明をしていただきありがとうございました。思っていた以上にいろいろな物を見ることができ、勉強になりました。

・訪ねていませんが、出てきた学校の一覧です。
廃校 跡永賀小学校、汐見小学校、太洋中学校→知方学中学校
学校 昆布森小学校、昆布森中学校、知方学小学校