しのうしのブログ

たまに外出

《釧路2》 廃校・廃線 根室本線下り③・尺別鉄道 <尺別=尺別炭砿=白糠> (5/6)

廃校 音別第二小学校上音別小中学校 
廃駅 波若信号場 
学校 旧東日本学園大学 
駅逓 上音別駅逓 

《釧路2-5》 廃校・廃線 根室本線下り③・尺別鉄道 <二俣-上音別、音別=波若> 

音別第二小学校音別町チャンベツ)


二俣小学校跡から道道241号を約5km進んだ所です。チャンベツ川の北になります。坂を登っていくと憩いの森キャンプ場となっています。


南側になんとか校名が読みとれる校門があります。こちらが元の入口だったようです。1908年音別第二教育所として開校。1918年チャンベツに新築移転し、音別第二尋常小学校に。1965年二俣小学校と統合しました。

音別駅音別町茶安別)


1930年開設。1945年廃止。音別市街へ3里32町。初代取扱人は橋本甚松氏。場所等不明。写真は音別第二小学校跡の下の道道沿いです。

上音別小中学校音別町本流)


場所がわかりませんでした。憩いの森から道道241号を約5km。閉校時の場所(音別基線243)は1963年に閉山した上音別炭鉱(244番地先)の近くのようです。道が曲がっているこのあたりでしょうか。
上音別小学校は、1918年音別第二小学校上音別教授場として開校。1928年上音別尋常小学校になりました。1951年移転。1965年二俣小学校と統合しました。
上音別中学校は1950年に二俣中学校上音別分校として併置で開校し、1954年上音別中学校になりました。1965年二俣中学校と統合しました。

1951年の移転前の場所(音別原野基線268の1・2・3)もわかりません。番地から単純計算すると2km強になります。上流だと、舗装が終わるあたりになります。閉校時の場所もはっきりわかりませんが。

音別川・・・音別で太平洋に注ぐ川です。永田、on-petで「腐川」。松浦、ヲンベツ「木の皮を水に浸し腐らす川」。山田、o-mu-petで「川尻・ふさがる・川」。主に2説あるようです。
1922年尺別村を音別村と改称しました。音別町は2005年釧路市編入しました。

・海岸へ戻ります。

東日本学園大学跡 (音別町中音別)


国道38号線の海側に寮がありました。


国道の山側に大学の入口があるようです。寮の所から国道の下を通って大学へ行く地下道があります。


山側には教養部や体育館がありました。国道38号線根室本線跨線橋付近から見えます。
1974年東日本学園大学設立。本部は当別町で、音別町は教養部。1985年教養部は当別町に移転しました。東日本学園大学は、現在の北海道医療大学です。北広島に移転するようです。
校舎は1990年から日栄綜合技術専門学校になりました。2004年日栄学園は緑ケ岡学園に吸収され、閉校。寮の方は1989年おんべつ学園事業開始。2015年音別町川東に移転。

●波若信号場音別町中音別)


根室本線にあった信号場です。1913年波若信号所として開設されました。1922年波若信号場になりました。音別駅から6.7km。1938年に廃止されました。馬主来沼の北西部にありました。
この道の先にあるようです。ゲートがあり入ることができません。この旧道を右奥の方角へ向かうとあったようです。

波若・・・馬主来沼に注ぐ、ヤムワッカからだそうです。どの川かわかりませんでした。