しのうしのブログ

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《十勝26》 廃校・廃線 広尾線② <光地園-大樹駅> (8/8)

廃校 光地園小中学校 
廃駅 大樹駅 
廃線 広尾線 

《十勝26-8》 廃校・廃線 広尾線② <光地園-大樹> 

光地園小中学校(大樹町光地園)

尾田橋の所から約10㎞、高度にすると280mくらい登ります。道道1002号の終わる所。
校地跡は衛生管理区域で立ち入れないようです。


学校はこの交差点から東へ200mくらい進んだ所にありました。道路の右に見える数本の木の先が、道路の右にあった学校への入り口だったようです。


交差点にあった「家畜感謝之碑」(右)です。1961年に建立されたもの。


そこからの校舎方面。今は全面草地になっています。光地園小学校は1950年に開校、1968年尾田小学校と統合しました。
併置の光地園中学校は1952年尾田中学校光地園分校として開校。1955年光地園中学校になり、1968年尾田中学校と統合しました。

光地園面(大樹町光地園)


ここは十勝平野で最も古くて高い地形面の一つで、光地園面です。約70万年前の光地園礫層が残された扇状地面だそうです。
古いと平坦面が少なくなるのですが、思っていたよりも広い感じがします。

戦後開拓地でした。標高が高いせいか、開拓には厳しいものがありました。

神居古潭(大樹町尾田)


歴舟川の尾田付近。川岸が削られて崖になっています。河原の石の観察に来たことがありました。
カムイコタンは道内各所にある地名です。kamuy-kotan「神の・居所」、kamuyには魔神という意味も含んでいるそうです。崖になっていたり、流れが激しかったりするところがあります。


ここで、砂金取りをしたことがあります。大量の砂利・砂をゆり板で揺すり、やっとそれらしい物があっても、雲母だったりします。
砂金取りの作業を体験することができます。


いつだったか忘れましたが、いただいた物です。

神居古潭トンネル(大樹町大全)
神居古潭キャンプ場の対岸になります。大樹から大全への道の旧道があります。昔は神威大橋や尾田橋はなく、歴舟川右岸をさかのぼっていました。この付近は川が迫っているので山越えでしたが、1917年にトンネルが2つできました。
北から、神居古潭第1号、第2号隧道。

第1号隧道の大全側。キャンプ場河原から。

第1号隧道の大樹側(右)と第2号隧道(左)。キャンプ場河原から。

第2号隧大全側(中央)と第1号隧道(右)。尾田橋から。

第2号隧道の大樹側。神居大橋から。

・6月24日に歴舟川の地層観察をする会がありました。その時、隧道を通る機会がありました。写真を追加することにしました。

・第2号隧道の大全側から。1969年竣工。38m。

・第1号隧道の大樹側から。1970年竣工。45m。入口に木が倒れていました。中にクマの糞らしきものがありました。

歴舟川の北流(大樹町)


歴舟川はかつて北に向かい、十勝川の方へ流れていたといいます。日高山脈の上昇と豊頃丘陵の上昇のため、少しずつ東へ流れるようになりました。
短くなって流れが速くなり、段丘を作りながら、太平洋に注ぐようになったそうです。その結果できたのが、無願の坂や忠類坂です。

歴舟川・・・大樹町を流れ、太平洋に注いでいる川です。アイヌ語のpe-rupne-i「水・大きくある・もの」だそうです。ペ・ルプネ→へる・ふね→歴・舟→れき・ふね。切れ目が変化したようです。歴の訓読みは「へる」だったのですね。
別名は日方川です。尾田小学校の碑にもありました。
歴舟川下流部に当縁郡歴舟村がありました。1906年合併して、広尾郡茂寄村大字歴舟村になりました。1928年分村して大樹村大字歴舟村になりました。

大樹駅(大樹町寿通1)


広尾街道と合流できました。
ホームと駅名標です。大樹駅は1987年に広尾線全廃で廃止になりました。