しのうしのブログ

たまに外出

「列車で学ぶ地理・歴史」音別と浦幌の文化 ②

後半は、主に十勝太経由の計画線の跡をたどりました。

廃駅 直別駅 
駅舎 厚内駅新吉野駅 

旧直別駅音別町直別)


旧直別駅舎です。かすかに駅名が見えます。直別駅は1907年に開業しました。2019年に信号場になりました。


ちょうど通過した列車2525D。


キナシベツ湿原があり、遊歩道のようなものがあります。

黒岩農場事務所跡浦幌町直別)


足を伸ばして黒岩農場跡に寄りました。浦幌町の説明板があります。1903年に黒岩四方之進が開設した農場です。農場は直別川の両岸にありました。直別駅の設置は黒岩の請願もあるといわれています。後の直別小学校の土地も寄付しました。

オタフンベチャシ浦幌町直別)


1981年国の史跡に指定されています。チャシと鉄道の間に道路を作っているそうです。そのため、鉄道からチャシが見えなくなりそうとのこと。写真はバスからです。右がチャシ、そこから左に土塁があり、それは戦時中のものだそうです。

厚内駅浦幌町厚内)


写真の左奥から来た線路はこちらへ曲がっています。現在、線路は厚内駅からは厚内川に沿って内陸へ向かいます。予定線は、右へ海岸線を進み、十勝太までの計画でした。
ここからは、予定線付近の道路を通ります。


1945年7月15日厚内駅停車中の列車がアメリカ軍の戦闘機から機銃掃射を受けました。犠牲者3名。近くのお寺に流れ弾の弾痕があるそうです。

斉藤牧場事務所浦幌町厚内)


厚内駅の裏側になります。斉藤兵太郎により建設された牧場事務所です。明治時代の牧場事務所が残っているのは珍しいそうです。木が邪魔ですが、厚内駅ホームからの撮影です。

・この後、厚内川を渡り海岸線を進みました。厚内川では、遡上するサケが見えました。

昆布刈石浦幌町昆布刈石)


昆布刈石よりも南の海食崖上から、昆布刈石方面です。このあたりは海まで崖がせまっており、厚内から内陸を通るルートが選ばれたようです。

十勝太浦幌町十勝太)


十勝川河口です。鉄道が来たときは、ここの北に十勝太の駅ができ、河口都市ができる計画だったそうです。ここからは新吉野駅へ向かう予定でした。計画が変更され、河口都市は実現しませんでした。

十勝太遺跡展望台浦幌町十勝太)


鉄道はこの付近を通る予定だったようです。(旧)十勝川沿い手前でしょうか。
写っている川は旧十勝川。遠くに見える高台の近くが大津です。大津の手前に現十勝川が流れています。鉄道は当初、左の海岸線を大津へ向かう案もあったそうです。十勝川・湿地帯・大津川(現十勝川)を越えてゆくのは難しかったのかもしれません。

吉野駅浦幌町平和)


1910年に下頃部駅として開業し、1942年新吉野駅と改称しました。現在、新吉野駅の南で線路は大きく左へ曲がり、浦幌駅へ向かっています。予定線通りだと、曲がらずにそのまま進み十勝太方面へ向かうはずでした。

道の駅うらほろ浦幌町北町)


最後の休憩です。16時半前ですが、もう薄暗くなっています。

浦幌駅浦幌町本町)

ここでバスを降り、解散しました。

 

・現地で詳しい説明をしていただき、ありがとうございました。

・関わりができたので、音別町方面の廃校跡を訪ねてみようかと思いました。