廃校 勲祢別小学校、川上小学校、小利別小中学校
廃駅 分線駅、川上駅、小利別駅
廃線 池北線
▽関神社・ユクエピラチャシ(陸別町川向)
ユクエピラチャシは国指定の史跡です。
しかし、関神社としてしか行ったことがありません。参道付近で遊んだ記憶があります。このあたりだったと思いますが、正確には覚えていません。
陸別で関といえば、蘭方医関寛斎のことです。地名にもなっています。
◆勲祢別小学校(陸別町勲祢別)
国道242号線から勲祢別川沿いの道を2㎞ほどさかのぼった所になります。事前の調べと雰囲気が変わっていますが、廃校跡の白い看板があったのはここではないかと思われます。道路の北側で、学校への入口付近と思われるところです。少し進むとグランド、その先に校舎があったようです。
1912年勲祢別特別教授場として開校、1924年に勲祢別尋常小学校。1967年陸別小学校と統合しました。
上の地点から400mほど東、道路から約20m南側の道の両側に校門があります。この季節は草に埋もれています。ここが学校跡ではなく、個人が門柱を移設したようで、個人名が書いてあります。
▼勲祢別川・・・利別川の右岸支流です。kunne-petで「黒い・川」だそうです。よくある地名ですが、何をもって黒いというのでしょう。
1958年開業、2006年に廃止された銀河線の駅です。駅は旧道の踏切の南で、線路の西側にホームがありました。今は、りくべつ鉄道の終点としてここまで線路が残り、駅名標があります。この駅名標のあたりにホームがあったようです。
駅のすぐ北には、車庫らしきものがあります。
分線はどういうときに使われるのかわかりません。他所で分線川というのを見たことがあります。
1914年から1934年まで分線特別教授場がありました。
●川上駅(陸別町川上)
1920年開業、2006年に廃止された銀河線の駅です。左の国道の横に駅があったらしい空間がありますが駅舎はありません。写真の右端に駅舎があったようです。
線路のあったところにはホームのコンクリートが残っています。周りに家は見あたりません。秘境駅として知られていました。
旧川上駅からだと北にある橋を渡り、利別川の西側になります。橋を渡って国道だったという道を少し南へ、この林の奥に小学校があったようです。
昨日の大雨で道路がぬかるみで降りるがためらわれます。今日も雨模様。草もぬれており、車から降りずに車内から撮影。その後、途中までバックで帰りました。タイヤは泥だらけです。
1916年川上特別教授場として開校、1922年川上尋常小学校に。1964年陸別小学校と統合しました。
1916年から1933年まで川上西部高台に信濃尋常小学校があり、川上尋常小学校と統合しました。
●小利別駅(陸別町小利別)
1911年開業、2006年に廃止された銀河線の駅です。道道620号 苫務小利別停車場線の突きあたり、小利別集会場になっています。池北線時代の駅舎も右端あたりで、その先にホームがありました。十勝の中でも小利別は寒いことで有名です。この季節では厳しさは感じられないかもしれません。
◆小利別小中学校(陸別町小利別本通)
小利別駅から旧国道を越え、神社の方へ向かいます。
途中の坂の手前にあります。校舎が残っています。丸い屋根は体育館でしょうか。宿だった時期もあるそうですが、放置されたグランドは水を含んでおり、使用している様子は感じられません。小利別小学校は1912年小利別特別教授場として開校、1982年陸別小学校と統合しました。
併置していた小利別中学校は1948年陸別中学校小利別分校として開校、1949年に小利別中学校。1979年陸別中学校と統合しました。
十勝管内では、我が家から最も遠いところにある学校です。
1925年から1933年まで、小利別の北にある林内地区に林内特別教授場があったそうです。
▼小利別…ポントシベツ「小さな利別川」からだそうです。利別川の支流。諸説ありどの川なのかはっきりしません。
※陸別町の廃校は全部登場したと思います。
上斗満小中学校、上陸別小学校、川上小学校、勲祢別小学校、薫別小学校、小利別小中学校、苫務小学校、中斗満小中学校、陸別高等学校