しのうしのブログ

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《十勝3》廃校・廃線 居辺丘陵 <武儀-長流枝内-押帯-利別-木野> (1/2)

《十勝3-1》居辺丘陵 <武儀-長流枝内-下居辺>

廃校 稔中学校昭和小中学校下士幌中学校長流枝内小中学校葭原小中学校東士幌中学校協和中学校、豊田小中学校、佐倉小中学校 

稔中学校 (音更町東和東2線)
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東2線9号と10号の間です。右に見える稔農事研修センターの奥に校舎がありました。倉庫として使われていたといいますが、なくなっていました。左側がグランドでした。稔中学校は1952年昭和中学校と東士幌中学校の一部を統合して開校、1974年 音更中学校と統合になりました。
校区の関係か、南中士幌小学校の卒業生でここに通った人もいたようです。

昭和小中学校 (音更町東和東1線3号)
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音更からは音幌橋を渡って東へ進みます。昭和小学校は1927年昭和尋常小学校として開校、2020年 音更小学校と統合になりました。最近の統合なので、校舎があります。
併置していた昭和中学校は、1947年開校、1952年新設の稔中学校に統合しました。

下士幌中学校 (音更町下士幌北3線東9号)
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道道498号沿いにあります。校舎は、下士幌会館のあたりにありました。左のグランド跡は資材置き場に使われていました。
1947年下士幌小学校併置で開校。1950年に独立移転しました。1979年 閉校。木野地区の下音更中学校の生徒数が増加したため、発展的に緑南中学校になったようです。
そういえば、以前同じ職場に、ここの卒業生の方がいました。

下士・・・川の流域は川と同じ名前の地名になることが多いです。士幌は士幌川流域になりますが、音更川の方までが士幌になっているようです。音更という地名は音更川の右岸の地名のようです。下流から上流に向かって下・中・上などとなります。音更町にあっても、士幌川下流部なので下士幌なのです。

長流枝内小中学校 (音更町長流枝幹線70)
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道道498号沿にあります。校舎があり、ブランコも見えます。記念像とバックネットもありました。長流枝内小学校は1905年第九特別教授場として開校、1916年長流枝内尋常小学校になりました。1984下士幌小学校と統合になりました。
併置していた長流枝内中学校は1948年下士幌中学校長流枝内分校として開校、1968年 下士幌中学校と統合しました。
長流枝公民館として使われているようです。スカッシュコートがあったようですが、出入りしている感じがあまりありません。スカッシュの経験がありませんが、前に経験した人がいました。話を聞いておけばよかったです。

長流枝内キャンプ場 (音更町長流枝4)
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正面に見える横道に入り、道なりに進み高速道路の下をくぐってしばらく行くとキャンプ場がありました。以前はここの道路の左に「オサルシナイ林間広場3.5km」の標識がありました。今はキャンプ施設は撤去されているようです。
かつて、キャンプ場に送っていったことがありました。

長流枝内川・・・士幌川の左岸支流です。松浦、オサルウシ。永田、o-sar-usi(茅川尻)。更科、オサルシ(川尻に葦原多い川)。山田、o-sar-us-nay(川尻に・葭原・ある・川)。皆同じとみてよさそうです。

葭原小中学校 (音更町長流枝幹線145)
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道道498号と31号の交差点にあります。体育館が残っているようです、その奥にあったと思われる校舎はありません。バックネットも見えます。
葭原小学校は1909年開校、1979年 東士幌小学校と統合になりました。併置していた葭原中学校は1948年東士幌中学校葭原分校として開校。1968年 下士幌中学校と統合しました。
地名はオサルシナイのsarの訳、「葭原」からと思われます。
本別方面に行くとき、ここで右折し道道31号で十日川へ抜けていたので、学校跡に気づいてはいましたが、じっくり見たのは初めてです。

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右端の閉校の碑の横に久保栄「火山灰地」の標柱が立っていました。

東士幌中学校 (音更町東音更東4線15)

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国道241号から道道31号(12号と呼んでいた)へ曲がり、まっすぐ進みます。ここは東士幌小学校です。かつて東士幌中学校が併置されていました。東士幌中学校は1947年開校、1952年 稔中学校と協和中学校に分かれました。

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学校の横にバッタ塚の標柱がありました。ここにもバッタ塚があることは知りませんでした。
明治15(1882)年 帯広に残った晩成社の鈴木銃太郎の蝗害についての記録です。「八月十八日。快晴。午後二時空中に響あり恰も大風の林木を鳴らすが如し。見る見る数万の蝗虫小屋の四面に飛び下る。実に立錐の地なし。(後略)」

十勝坊主 (音更町東音更東6線)
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今春、帯広空港方面で十勝坊主を観察したので、ここも見に来ました。6号を東へ進み、サックシュオルベツ川を渡るとすぐ左折(標識あり)。十勝坊主は周氷河地形で土の隆起です。音更町指定文化財になっており、整備されているようです。奥に谷地坊主があるようですが、行ったときは、草に埋もれているようでした。
行く途中、畑の横を通りました。好天が続いていたので、土ぼこりで車が真っ白になりました。

sinousi-2.hatenablog.com

協和中学校 (音更町豊田東4線9号)
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右手前に校舎があり、向こうの建物の建っているあたりがグランドでした。1952年豊田中学校と東士幌中学校から開校、1975年 音更中学校と統合しました。南中士幌小学校の卒業生でここに通った生徒もいたと思います。
50年以上前、横を通ったことがあります。そのときは確か校舎を右手に見ました。南か西へ向かっていたのだと思います。

豊田小中学校 (音更町豊田東4線27)
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東4線と5線の間の道沿いにあります。この道、過去のことは知りませんが、何となく草が増えたのではという感じがします。校門が地図になっています、地図好きにはいいです。校舎があり、グランドは左です。南側に豊田会館、北側に保育所があるのですが、校舎は何に使われているかわかりません。
1911年旧中士幌尋常小学校の前身・音更第八尋常小学校特別教授場として開校、1929年豊田尋常小学校になりました。2015年 駒場小学校と統合しました。併置していた豊田中学校は協和中学校になりました。
50年以上前、スポーツの交流会か何かで、来ているはずですが、何をしたのか覚えていません。そのときの行きか帰りに協和中学校の横を通ったのかもしれません。

佐倉小中学校 (士幌町士幌132)
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道道316号沿いにあります。佐倉小学校は1917年佐倉尋常小学校として開校、2020年 士幌小学校と統合になりました。最近の統合なので校舎があります。併置していた佐倉中学校は1947年開校、1966年 士幌町中央中学校と統合しました。
1913年 旧佐倉藩主堀田正恒が佐倉農場を開設、入植が始まりました。

下居辺 士幌町下居辺)
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以前は下居辺神社の後ろの丘を曲がりながら登っていたのですが、大きく回る道道134号の新道ができました。