しのうしのブログ

たまに外出

《十勝3》廃校・廃線 居辺丘陵 <武儀-長流枝内-押帯-利別-木野> (2/2)

廃校 押帯小中学校美加登小学校青山小中学校千代田小学校
廃駅 旧利別駅
廃線 第六野戦航空修理廠貨物線
学校 高島小学校利別小学校

《十勝3-2》居辺丘陵 <下居辺-押帯-利別-木野>

押帯小中学校 (本別町押帯182)
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道道134号沿いにあります。左の建物は形から体育館のようです。右の校舎跡には押帯(おしょっぷ)集会場があります。今は工事の事務所に使われています。手前の車が並んでいる所がグランド跡。門を入って左に閉校記念碑がありました。押帯小学校は1917年開校。1981年 押帯小学校は勇足小学校と、併置だった押帯中学校は勇足中学校と統合になりました。

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道路をはさんで向かい側に押帯神社があります。その横の空き地に教員住宅があったようです。ここの学校に勤めていた人を知っています。機会があれば尋ねてみたいと思います。

押帯川・・・利別川の右岸支流です。学校の後ろの方を流れています。o-suopまたはo-suwop(川尻が箱になっている)。他説もあり。押帯川の川尻(利別川に注ぐ所)が箱(両岸が絶壁)になっていると当てはまるのですが、見たことはありません。
押帯村がありました。1915年合併して本別村になりました。

高島小学校 (池田町高島137-3)

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2022年に、池田小学校と統合になるようなので、寄ってみました。国道242号線から少し入った所からです。休みの日だったせいか、入口付近で何か作業の準備をしているようでした。

美加登小学校 (池田町美加登)
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大まかな地図に学校のマークがあるのですが、場所を特定できません。高島小学校から国道242号への出口です。この正面の道を6キロほど行くと学校があったと思われます。地形図では、パンケ川の支流に、美加登学校の沢川があるので、その川沿いだと思います。町史によると、1966年7月校舎焼失、高島小学校に統合 とあります。
1939年池田町大字信取村が信取と美加登になりました。

青山小中学校 (池田町青山302)
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道東自動車道池田インターチェンジの少し南にあります。北8線東36号。右は体育館でしょう。正面の建物は元校舎のようにも見えます。ここの左に通用門があり、閉校記念碑などがあります。青山小学校は1995年 池田小学校と統合しました。併置していた青山中学校は1967年に池田中学校と高島中学校に統合。現在、青山地区コミュニティセンターで、グランドの一部は駐車場です。
1896年 福井県坂井・丹生・足羽郡からの福井団体が入植しました。そのリーダーが青山奥左衛門氏。

六野戦航空修理廠貨物線 (池田町豊田北4線)
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現在の利別駅付近で根室本線を離れ、山沿いをここまで続いている道があります。カーブの感じから線路跡と思われます。撮影場所の少し南で道路を西にはずれ、左の牧草ロールのところを通り、川を渡って、正面の沢に向かって進んでいました。四線川の沢沿いにいくつも施設があったようです。今も残っている建物があるようです。

旧利別駅 (池田町利別本町117)
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利別駅は1967年に現在の場所に移転しました。旧利別駅は現在の駅より600メートルほど池田駅寄りにありました。池田駅との間で線路も切り替わっています。今は住宅地になっていて、近寄れませんでした。正面の奥くらいに旧駅があったと思われます。民家なので写真を撮るもの気が引けました。

利別小学校 (池田町利別西町20)
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2022年 池田小学校と統合になるようなので、寄ってみました。学校の写真を撮っていると、車が通り、変な人が来ていると思われたかもしれません。現役の学校は難しいですね。

利別川・・・利別の名の元になった川です。十勝川の左岸支流、十勝川第一の支流。アイヌ語のtus-pet(縄・川、蛇・川)説、to-us-pet(沼・多い・川)説など。古い地図では河口付近の蛇行がすごいです。また、そのせいか、湿地に三日月湖等がたくさんあります。桧山にも同名の後志利別川があります。十勝川との合流点付近=利別太は、鉄道開通前は、水運で栄えました。

・ここから道道73号を木野へ戻ります。

千代田小学校 (池田町千代田574)
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道道より少し南に入ります。基線東28号。門の内側に閉校記念の碑があります。現在は、千代田コミュニティセンターです。建物の形から判断すると、学校がそのまま使われているように見えます。1905年開校、1995年 利別小学校と統合しました。

蝶多・・・アイヌ語のci-e-ota(我ら・食べる・砂浜)からのようです。古い地図では、十勝川の右岸(南側)にあります。今は左岸(北側)が千代田です。
かつて蝶多村がありました。1906年音更村と凋寒村に別れました。現在の音更町東部、長流枝・東和・下士幌・十勝川温泉・東音更・豊田など、と、池田町の千代田になったようです。

千代田堰堤 (池田町千代田)
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昔から鮭(あきあじ)漁を見物できることで有名な千代田堰堤です。道道沿いで千代田トンネルの東。昔はホテルもありましたが、公園になっています。アキアジ漁は秋です。堰堤は1935年に水田の取水施設としてできました。洪水時に分流する千代田新水路が南側にできています。そちらには魚道や、魚道観察室があるそうです。

道の駅ガーデンスパ十勝川温泉 (音更町十勝川温泉北14)
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モール温泉で有名な十勝川温泉にある道の駅です。グランドホテル雨宮館がありました。雨宮館といっていた時代にも来たことがあります。十勝川温泉は、雨宮温泉といわれた時代もあったそうです。老舗だったのですね。モール温泉は北海道遺産です。
写真の左、丘の上にテレビ塔が写っています。十勝ヶ丘は帯広周辺では高い所なのでテレビ塔などが建っています。近くには展望台もあります。

旭の露頭 (音更町十勝川温泉北3)
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下半分の白っぽい部分が、約100万年前の十勝三股カルデラ火砕流だそうです。これだけの量をいったい何km運んできたのでしょうか。上部の茶色い部分は渋山層という80万年くらい前の地層。この二つの地層は十勝平野が広い湖・湿原の時代の堆積物だそうです。

段丘地形 (音更町共栄台東12丁目から)
木野から十勝川温泉へ行くとき、道路は地図上では東西に一直線になっています。しかし、実際に通ってみると、平らな面が何段にもなっています。これが、十勝平野でよく見られる段丘地形です。このあたりの段丘は高い順に、①上更別面、②上札内Ⅰ面、③上札内Ⅱb面、④中札内面、となっています。高い段丘のほうが古いそうです。

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写真は北5線(国見通)、木野の共栄台の陸橋の上からです。撮影場所は東向きで、②上札内Ⅰ面 の下り坂から。下の低い所が ④中札内面、少し先の道の盛り上がりは音更川の翠柳大橋、橋を渡の向こう見えませんが ④を過ぎ、①上更別面 を登る坂が見えます。その向こうは②、③となっています。
写真の中央やや上、国道への右折車線が始まるあたりを士幌線が通っていました。