しのうしのブログ

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《十勝1》廃校・廃線 士幌線① <帯広=武儀-南中士幌> (2/3)

《十勝1-2》廃校・廃線 士幌線① <帯広=音更>

廃校 開進尋常小学校 
廃駅 木野駅音更駅 
廃線 士幌線 
学校 旧下音更小学校旧音更高校旧音更中学校 

● 音更側の十勝川堤防 (木野公園下町)
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帯広方向、線路跡はわかりません。音更側は、洪水対策で堤防を北に移動、十勝川の川幅を広げました。

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木野方向、鈴蘭公園の崖の下へ向かって、盛土で進んでいました。

● 鈴蘭公園の下 (木野公園下町)
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鈴蘭公園の高台に上る道路に踏切がありました。その道路が改良され、車は便利になりました。勾配も変わったのでしょう。道路と線路跡に高さに差が生じているようです。

木野駅 (木野大通西6)
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1925年開業、1987年廃止になった士幌線の駅です。駅跡に標柱が立っています。木野支所の所です。手前の道が駅前通。木野甚太郎所有の農場に駅が設置されたため駅名になりました。
小さい頃、木野駅より南の方は本来「千野」という地名だと聞いたことがあります。調べてみると、北3線より南に千野農場、北に木野農場があったようです。今は、すべて「木野」です。駅名に採用されたせいでしょうか。
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今でも千野の名は千野会館 (木野東通1)として残っています。

◆ 移転した下音更小学校跡 (木野西通8)
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国道から鈴蘭の高台に上がる道(上には十勝療養所があった)の途中です。校舎の一部が残っています。1990年に現在地に移転しました。二宮像も現在地に移設したそうです。

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鈴蘭公園から北へ下る道から。左奥が上の校舎です。校舎の手前側がグランドだと思っていました。実際は、道路まで校舎がのびていたようです。道路の右側がグランドでした。橋の向こうの道路部分もグランドで、以前はこの道がなかったのです。1902年下音更下組簡易教育所として開校。1914年下音更尋常小学校に。1990年現在地(木野西通12)に移転しました。

士幌線は、郊外型店舗の並ぶ国道の西側を北上していました。

◆ 開進尋常小学校跡の説明板 (新通20)
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「北海道旧土人保護法」第9条に基づいて1906年に設置された音更尋常小学校、後の開進尋常小学校の跡地。1931年に廃止され、児童は音更と下音更に別れました。(説明板より)

● 道東自動車道下(新通18)
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うれしいことに、線路跡の部分は高速道路で塞がれず、通ることができます。横は公園になっています。北側の線路跡は畑です。

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南側は線路跡らしきものがあります。

● 音更市街地南部 (大通15)
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帯広から北上した路線バスは、右に見える国道からここを左折して、すぐ士幌線を踏切でわたり、またすぐ右折して北上、音更市街へ向かいます。踏切だったところは、線路跡の雰囲気があります。右の国道は、バイパスで後からできたそうです。

● 音更駅 (大通6)
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1925年開業、1987年廃止になった士幌線の駅です。道路の右側は交通公園、機関車などがあります。実際の駅舎はこの駅前道路の左の駐車場付近だったようです。

◆ 移転した音更高校跡 (新通8)
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1948年帯広商工高校音更分校として開校。1952年音更高校に。1953年当地に独立校舎が完成(新通8丁目)。1969年現在地(駒場西1)に移転しました。
かつて国道を通ったとき見たような気がしていたので、訪ねてみました。保健センターの所でしょう。

◆移転した音更中学校跡音更町柏寿台)

1972年に現在地(雄飛ヶ丘1)に移転する前の音更中学校の場所です。北側に校舎があり、南側がグランドでした。現在ある建物はかなり大きく、グランド部分にも建っています。建物の南の駐車場の所は、中学校移転後、幼稚園があったところです。
音更中学校は1947年当地に開校しました。青年学校があった所のようです。

・音更を過ぎると、畑の中で、線路跡に近づけるところは少ないようです。