しのうしのブログ

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《十勝1》廃校・廃線 士幌線① <帯広=武儀-南中士幌> (3/3)

《十勝1-3》廃校・廃線 士幌線① <駒場=武儀-南中士幌>

廃校 駒場中学校南中士幌分校南中士幌小中学校 
廃駅 駒場駅武儀駅 
廃線 士幌線 
学校 旧駒場中学校

駒場 (駒場本通1)
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1925年開業、1987年士幌線廃線により廃止になった駅です。標柱があります。駅舎は、少し先の黄色の掲示が見える辺りだったようです。
近くに、十勝種馬牧場(今の家畜改良センター十勝牧場) があったので駅名になりました。今でも、この牧場を旧名の「種畜牧場」といってしまいます。

◆ 移転した駒場中学校跡 (駒場北町)
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小学校と中学校が並んでいました。小学校の方はこの場所で改築されたようですが、1980年頃中学校は市街地の南に移転しました。ここには中学校の校門が残っていました。

音更川の橋梁 (駒場-東音更)
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士幌線はこの付近で、音更川を越えていました。残念ながら、草が大きくて川がよく見えませんでした。(20210625)

音更川。音更の名の元になった川です。意味がはっきりとはしていないようです。
永田「オトプケ」(?) 、多くは「オトプ・ケ」 または「オトプケ」で (毛髪が生える。頭髪の所。) 、安田「オ・トプツケ」(川の両岸曲がる) など。髪の毛が川の名になった訳は・・・?

音更川十勝石(黒曜岩、黒曜石ともいう)を見つけることができる川として知られています。最近では、3年前に駒場下流の河原で拾いました。

武儀駅 (東音更幹線)
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1956年開業、1987年廃止になった士幌線の駅です。5号の道から北東、左前方の武儀駅(士幌)方向を見る。士幌線はこの辺を通っていた。5号のこの辺は低くなっていたのですね。

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基線から南西、駒場方向。今は畑になっている所を斜めに通っていました。ホームは確か線路の北側で、こちらの踏切の近くから入って列車に乗りました。
小学生の頃、ここから駒場までの料金が10円だったと思います。(大人料金かもしれませんが)
岐阜県武儀郡中有知村からの武儀団体が入植したことに由来する地名です。

・5号の道を東へ向かいます。

駒場中学校南中士幌分校 (東音更西2線5号)
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何のことかわからないと思います。アマラ川から120メートルほど東。5号の道で北向きです。
このあたりに校門 (入口) がありました。入ってすぐはグランド。その奥に校舎がありました。校舎まで行ったことがあります。グランドで生徒たちが部活?をしていました。

少し横から見てみました。
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今は会社の敷地になっているようです。ただ、この会社の敷地がすべて校地だったのではありません。国道からアマラ川までのうち、国道側の半分くらいは畑。そこからアマラ川へのさらに半分くらいまでが校地だったと思います。
1947年小学校併置で南中士幌中学校開校。1953年に駒場中学校南中士幌分校開校。1954年当地に移転。いろいろあったようですが、1969年から音更中学校に統合しました。

南中士幌小中学校 (東音更西2線4号)
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4号の道にある校門。近くに閉校の碑と80年記念碑がありました。今はふれあい教室として使われているようです。1901年幹線3号に簡易教育所として開校(今の南武儀あたりでしょうか)。1910年南中士幌尋常小学校と改称。1999年駒場小学校と統合しました。

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かつては校地の東側 (この道の辺りでしょうか) にずっと、神社の方から流れてくる水路がありました。どこから来てどこまで流れていたのかはわかりません。減反政策前はこのあたりにも水田がありました。
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教員住宅のあたり、学校の東側です。

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学校の北、小学校の近くでよく見かける神社。以前は近くに季節保育所がありました。
神社の横の水路(水が流れていない頃)で蝶々とりしたことを思い出しました。

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交通量が多く、じっくりと確認できなかったのですが、グランドの南、国道沿いの校門。校舎から離れた位置にあります。どうしてここにあるのか、80年記念碑の沿革から考えてみました。

 1901年 開校(中士幌幹線14)
 1927年 現在地に移転
 1941年 校舎改築
 1954年 中学校移転
 1971年 校舎改築
1965年頃の校舎は今の校舎と同じように校地の北側にありました。1941年から1971年までの旧校舎が北側にあったことになります。すると、現在地に移転した頃に校地の南の方に校舎があったということでしょう。最初から門だけ南にあったかもしれませんが。
 1999年 駒場小学校と統合

南中士幌・・・中士幌の南にあるからかもしれません。しかし、古くは音更12号(道道31号)から27号(今の上士幌市街)あたりまでが中士幌だったようです。中士幌地区の南部ということも考えられます。