しのうしのブログ

たまに外出

《上川4》 廃校・廃線 石勝線③ <トマム=清風山-双珠別> (4/4)

廃校 新入小中学校新入浅野小学校双珠別小学校 
駅舎 清風山信号場 
駅逓 ニニウ駅逓 

《上川4-4》 廃校・廃線 石勝線③ <鬼峠=清風山-双珠別> 

新入小中学校占冠村ニニウ)


道道610号赤岩橋から道道136号を約5.5km。校舎は2013年に解体されたようでなくなっています。校門があった所へ行こうと思ったのですが、その付近にいる羊は気性が荒いということなので、やめておきました。


中央奥の平地に学校があったそうです。手前の赤色の建物のところがグランド跡。閉校の碑や校門があったはずです。通りかかった牧場の方にうかがうと、校門などの学校関係のものは無いようです。
新入小学校は1911年私立新入教育所として開校、1913年占冠中央教育所新入特別教授場になりました。1945年に新入国民学校となり、1975年占冠中央小学校と統合しました。
新入中学校は1949年占冠中学校新入分校として開校、1952年に新入中学校。1975年占冠中学校と統合しました。

ニニウ駅逓占冠村ニニウ)


道東自動車道を過ぎて、道道610号からニニウ神社へ分岐するあたりに、標柱と説明板があります。1917年に開設、1945年に廃止されました。占冠駅逓から3里。初代取扱人は小林昇之助氏、二代目は三船留七氏。

新入浅野小学校占冠村ニニウ)
パンケニニウ川上流、浅野セメント石綿鉱山にあったそうです。場所がわかりませんでした。村史によると、1944年新入浅野国民学校として開校し、終戦後閉校。1947年以前に国民学校のまま閉校の可能性はありそうです。戦後廃校なので小学校として載せました。


写真は楓橋からパンケニニウ川と鵡川の合流点。パンケニニウ川のどれくらい上流にあったのでしょうか。
村史によると、鬼峠を越えて、ペンケニニウ川上流に出る。ここを1里ほど下るとニニウ小学校。そこから小峠を越えて進むとあったそうです(距離は不明)。

ニニウ・・・鵡川の右岸支流にパンケニニウ川、ペンケニニウ川があります。ni-ni-unで「樹・樹・そこにある」。ni-uで「樹木・の多いところ」というのがあります。新冠町の厚別川支流になんとなく似た地名、ニニウンケプ(ニヌンケプ)があったようです。

●清風山信号場占冠村ニニウ)


1981年石勝線の信号場として開業しました。占冠駅から10km。利用者がいれば、ニニウ駅になる予定だったそうです。新入小学校からは2km余、少し距離があります。奥に見える橋梁は道東自動車道鵡川橋。
清風山はパンケニニウ川上流にある山の名前です。


建物の横にあった碑。裏を見なかったので建立年など不明です。2011年5月清風山信号場構内第1ニニウトンネル内で起きた、特急スーパーおおぞら14号脱線・火災事故のことではないかと思われます。


2011年10月、列車からの信号場です。

ニニウから清風山信号場へ向かう途中に、道東自動車道の下を通ります。この先に清風山信号場があります。
占冠村を回った8月のこの日は、札幌で観測史上最高温度を記録しました。ホロカトマムもニニウも、高速道路の利用であっさりと着きました。暑すぎますが、天気のいい日でした。山奥の開拓生活の不便さや、冬の厳しさを感じ取ることはできませんでした。

双珠別小学校占冠村双珠別)


占冠中央から国道237号線を日高へ向かい、約6km。国道沿いにあります。校舎は研修体験施設の双民館になっています。北(右)側がグランド跡。


グランドの北側に校門があります。


校舎南側のようす。


入口横に閉校の碑があります。大きな方は1983年建立の碑。右の四角い方が閉校記念碑で、閉校の辞が刻んであります。
1909年双珠別教育所(村史では1904年双珠別簡易教育所)として開校。1997年占冠中央小学校と統合しました。

双珠別川・・・鵡川の左岸支流です。so-us-petで「滝が・ある・川」。実際に滝はあるそうです。平取町の額平川支流に総主別川があります。

占冠村の廃校は全部登場したと思います。
占冠小学校、下苫鵡小中学校、下苫鵡小学校ホロカ分校、トマム小中学校、新入小中学校、新入浅野小学校、双珠別小学校、湯の沢小学校