《十勝27-4》 廃校・廃線 広尾線③・国鉄バス晩成線 <晩成-忠類駅>
▽ホロカヤントー(大樹町晩成)
付近の海岸にはいくつかの潟湖があります。その中の一つ、ホロカヤントーは昔からよく知られた観光地でした。今回行ってみると、湖岸まで行く道が波にけずられて、行けなくなっていました。横の遺跡に上り、歩いて近づきました。
horka-yan-toで「後戻りして・揚がる・沼」だそうです。松浦武四郎はホリカニ、ホリカヤニ、ホリカヤントウなど。
昔、湖岸で撮った写真の一部。車で湖岸へ行くことができました。今回、車を止めた遺跡跡は写真の後ろにある丘です。
中当から晩成の国道へ抜ける道路の途中です。いくつかの記念碑や説明板があります。碑の向かい側に駐車スペースがあります。
1969年工事中に発見され、1970年に本発掘が行われました。火山灰や植物化石から約12万年前の地層からだそうです。ほぼ一頭分の骨が出てきましたが、頭骨は細かく砕かれていました。そのナウマン象は臼歯などから50~60歳くらいだったと推定されています。臼歯以外の骨や地層が確認できるため貴重だそうです。忠類市街にナウマン象記念館があります。
最近は足跡化石を発掘調査しています。
◆中当縁小中学校(忠類村中当基線)
縦に校舎がありました。手前は完全に崩れていて、屋根だけが見えます。左側がグランドでした。
右に見えているのは体育館のようです。
校舎跡の左に閉校の碑と幕別町の説明板があります。
中当縁小学校は1938年当縁尋常小学校中当縁特別教授場として開校、1939年に中当縁尋常小学校。1971年忠類小学校に統合しました。
併置していた中当縁中学校は1951年忠類中学校中当縁分校として開校、1952年中当縁中学校に。1971年忠類中学校に統合しました。
▼当縁川・・・忠類から流れ、ホロカヤントーの南で太平洋に注いでいる川です。松浦、トウブイ。永田、to-puy「沼穴」。ト・プチ「沼の・その口」。昔は、トウプツ、とうふい、トプチだったようです。河口付近は湿地で、昔は沼だった感じはします。とおふち→当縁→とうべり、でしょうか。
かつて当縁は郡名・村名でしたが、1906年広尾郡と十勝郡に編入、消滅しました。
ナウマン象の発掘現場を見学するたびに寄っていました。
記念館前にあるナウマン象の像。発掘された骨は青年の象と思われていました。この像は親子ということになります。研究の結果、発掘された象は年を取っていることがわかりました。この像は祖父と孫といわれるようになりました。モニュメントなので親子でいいのですが。
●忠類駅(忠類村幸町)
一周して戻ってきました。
※旧忠類村の廃校は全部登場したと思います。
西当縁小学校、中当縁小中学校、明和小学校