廃校 昭栄小学校、川合小学校、礼文内小学校、礼文内中学校
学校 旧豊頃小学校、旧々豊頃中学校
駅舎 昭栄信号場
《十勝10-2》 廃校・廃線 根室本線下り① <池田=昭栄-豊頃>
◆ 昭栄小学校 (池田町昭栄)
池田駅から約4km。道道73号から根室本線方向に少し入ります。校舎が残っています。校門を入って左に閉校の碑があります。
右には大望の像。校舎は昭栄コミュニティセンターとなっています。1902年開校。1941年 十弗から昭栄に校名が変わりました。1997年池田小学校と統合しました。
▽ 昭栄信号場 (池田町昭栄)
昭栄小学校の近くの根室本線に昭栄信号場があります。1966年開業。列車に乗っていると停車することがあったのでこちらの方が懐かしい感じです。
▽ 川合橋 (池田町川合)
1956年利別川の新水路に川合地区と対岸を結ぶためにかけられた橋です。堤防に架けるのではなく、河川敷に架けられていました。欄干のない、増水すると川に沈んでしまう「もぐり橋」(沈下橋)で、1977年に川合大橋ができるまで使われました。
写真左にある川合大橋の数十メートル下流(右)の河川敷にありました。当時と川の流れは変化しています。川合橋はドリカムの歌、「晴れたらいいね」に出てくる 川底に沈む橋 のモデルになったといわれています。
◆ 川合小学校 (池田町川合)
川合大橋の少し北、道道882号沿いにあります。校舎と体育館は残っていて、川合地区コミュニティセンターとして使われているようです。
校庭に閉校記念の碑があります。1948年開校、1995年利別小学校と統合しました。
1913年凋寒村大字凋寒村は川合村大字川合村になりました。現在の川合はその一部です。
1956年利別川の流路変更で、池田町川合の南で十勝川と合流するようになりました。
◆ 礼文内小学校 (豊頃町十弗宝町)
十弗駅付近。道道73号から横道を少し上った所にあります。体育館が残っています。その奥の林の所がグランドだったようです。道道597号へまっすぐな道がありました。
校舎があった付近に閉校記念の碑などがあります。1904年開校、1991年旧豊頃小学校と統合し、豊頃小学校になりました。
◆ 礼文内中学校 (豊頃町礼文内)
道道73号沿いです。礼文内小学校跡から約500m。校門跡らしきものが一つ左にあります。ここの右に校舎があったようです。
校舎と反対の北側に礼文内コミュニティセンターができていました。その横に碑がありますが、ふるさと百年とあります。1950年礼文内小学校併置から独立、1976年旧豊頃中学校と統合しました。
▼ 礼文内川・・・旧十勝川の左岸支流です。松浦、リフンライ。永田、repun-kur-ray(海外の人死したる処)。更科、supun-nay(ウグイのいる川)。安田、レブンナイ((十勝川)の向こうにある川)。最初の音が微妙に違います。
◆ 旧豊頃小学校 (豊頃町豊頃佐々田町)
豊頃市街の北の方です。道道73号から少し東に入ります。校舎はなく、体育館だけが残っています。道路側の住宅に住んでいる方がいるようで、横からの撮影です。グランド跡などにソーラーパネルが多数あります。ここにあった二宮像は現在の校地に移設したそうです。1910年開校。1991年礼文内小学校と旧豊頃小学校が統合し、中央若葉町の豊頃小学校になりました。
二つの学校が対等統合したようなので、廃校かもしれませんが、豊頃小学校の名称で移転しているので、旧校舎としました。統合にはいろいろなパターンがあるようで、あまり厳密ではありません。
◆ 旧々豊頃中学校 (豊頃町豊頃佐々田町)
はじめは豊頃小学校内でした。1952年同じ敷地に独立。1955年茂岩中学校と統合し、中央若葉町の旧豊頃中学校になりました。場所は上の旧豊頃小学校と同じとします。
▼ 豊頃・・・諸説あり、意味がはっきりしません。松浦、トヒヲカ。永田、トプヨカオロ。安田、トイコロ(土多く砂礫少なき処)。若林、トプヨコロ(沼穴の跡の所)、など。
十勝川をまたいで、豊頃村がありました。1906年安骨村と合併して豊頃村になりました。1955年大津村の一部を編入しました。