しのうしのブログ

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《上川7》廃校・廃線 富良野線③<千代ヶ岡=旭川>(1/8)

富良野線旭川市部分と旭川市街中心部の学校巡りです。

廃校 就実小学校千代ヶ岡小学校千代ヶ岡中学校 
駅舎 千代ヶ岡駅 

《上川7-1》廃校・廃線 富良野線③<就実-千代ヶ岡>

就実小学校旭川市西神楽1線31号)


北美瑛駅から道道213号を約3km進みます。辺別川が市町境になっているので東西どちらへ進んでも、辺別川を渡り美瑛町に入ります。
校地入口の左に100周年の「就実開拓碑」、辺渓朗開基五十周年の「開拓記念碑」があり、その奥に門柱があります。


右が1925年寄附の門柱。開校20年記念でしょうか。左は卒業生名簿です。


入口の右にあった、閉校記念のタイムカプセル「つながり」。


奥の建物は校舎と体育館。現在は西神楽公民館就実分館になっています。
 1905年ペンケローネナイ教育所として開校。1906年に神楽第二簡易教育所、1917年に辺渓朗尋常小学校、1941年に就実国民学校と改称。1991年千代ヶ岡小学校と統合しました。
就実は1908年の戊申詔書の言葉からだそうです。

辺渓朗根内・・・学校名にあるように、ペンケローネナイと呼ばれていたようです。penke-raune-nayで「川上の・深い・沢川」。辺渓朗は下略でしょうか。

美瑛町の明徳小学校の東に朗根内神社があります。そこよりも下流にあるのにペンケローネナイ。下流にパンケローネナイがあったのでしょうか。

千代ヶ岡小学校旭川市西神楽3線25号)


富良野線千代ヶ岡駅の南東です。
駅裏の道路沿いにあり、千代ヶ岡駅が見えます。


校門と校舎があります。


入口の校門の右に閉校記念碑。裏は沿革です。


入ると校歌を設置した大きな石。その後ろに二宮像があります。


北側の自転車小屋前にも校門があります。
 1900年辺別簡易教育所として開校。1907年に神楽西第三尋常高等小学校、1942年に千代ヶ岡国民学校と改称。2019年西神楽小学校と統合しました。

千代ヶ岡中学校旭川市西神楽3線25号)


千代ヶ岡小学校のグランドをはさんで南側に校舎が残っています。小学校から見た校舎。


グランド中央の道路側です。左に「千代ヶ岡小学校・千代ヶ岡中学校」と書かれた小学校80周年記念の碑。中央は中学校閉校記念碑。右は1947年制定の校章です。


閉校記念碑「我らここに学びし」、卒業生名簿になっています。裏は校歌と沿革です。


校舎の南側からです。一線の校舎で、一番奥が体育館です。道路側に横断幕「最高の思い出をいつまでも」。


この踏切を渡って通学していたのでしょうか。
1947年に開校。2008年西神楽中学校と統合しました。