しのうしのブログ

たまに外出

《十勝8》 廃校・廃線 池北線⑤ 士幌線③ <足寄=塩幌-喜登牛-清水谷=上士幌> (1/2)

廃校 愛冠小中学校鷲府小中学校白糸小中学校茂喜登牛小中学校
廃駅 愛冠駅西一線駅塩幌駅
廃線 池北線

《十勝8-1》 廃校・廃線 池北線⑤ <足寄=塩幌-茂喜登牛>

愛冠小中学校 (足寄町愛冠)
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足寄駅から北へ約6km。国道242号線沿いにあります。手前に相和生活改善センターが建っています。左にあったグランド跡の国道側はNOSAIの事業所と駐車場になっています。

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体育館はないようですが、奥には校舎は残っているように見えます。愛冠小学校は1907年開校、1969年に東小学校と統合になりました。併置していた愛冠中学校は1958年足寄中学校と統合しました。

愛冠駅 (足寄町愛冠35-12)

2006年に廃止された銀河線の駅です。愛冠小学校跡から国道を500m進み、東に入ります。駅前にウェディングブリッジがあり、その向こうの左に愛の泉あります。夏場、うどん屋さんが入っているという話でしたが、Closeで人がいるようなので、確認はしませんでした。

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ホームと足寄方面の路線跡です。愛のカップルという縁起名で知られていました。

鷲府小中学校 (足寄町鷲府144)
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愛冠小学校とは利別川をはさんで西側になります。愛冠駅からまっすぐ進み、利別川の橋を渡り少し進んで左折します。学校の道路をはさんで反対側は神社があります。左の方には倉庫のようなものがあります。正面の建物から手前にかけて縦に校舎があったようです。

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さらにその右の林のところがグランドでした。手前はきれいに砂利が敷き詰めてあり、駐車場か何かに使っているような雰囲気です。鷲府小学校は1942年開校、1969年東小学校と統合しました。併置していた鷲府中学校は1969年足寄中学校と統合しました。

鷲府・・・利別川の右岸に下ワシップ川(パンケオワシ)・上ワシップ川(ペンケオワシ)があります。松浦、ヲワシユツ。永田、オワシ。訳は知里、o-wa-us-i (そこで・徒渉する・いつもする・ところ) が見つかりました。

一吹峠 (足寄町愛冠-上利別)
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利別川は愛冠駅の上流、西一線駅の手前で大きく東へ蛇行して先端が崖になっています。凝灰岩質の白っぽい崖です。昔は、利別川の左岸に道がありました。川に橋が架かっていなかったので、愛冠神社の北の道を崖に向かって進んで登り、崖を大きく迂回して下り、西一線神社の南に出ていたようです。利別川に沿って進むとき、この崖の上にあった道を越えなくてはなりませんでした。峠で一服したので一吹峠というようになったそうです。鉄道は川に2本の橋を架け通り抜けていました。

愛冠・・・アイヌ語のaykap (できない、矢が届かない)からとなっています。道内各所にある地名で、大きい崖が多いようです。一吹峠のところも大きな崖ですから、アィカプ・ピラ(piraは崖)に当てはまりそうです。

西一線駅 (足寄町上利別)
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2006年に廃止された銀河線の駅です。国道沿いにありました。すぐ左が国道です。駅はこの踏切跡から数10m北のあたりだと思われます。手前にある土の山の向こう、少し地面が見えるあたりでしょうか。奥の方にも路線跡が続いているようです。
西一線がどこなのか地図で調べてみました。上利別殖民地増画図によると、西一線はペンケオワシ(上ワシップ川)の川口とシヨナイ(庄内川)の川口を結んだラインになりそうです。西一線駅のある利別川左岸には一部しかかかりません。西一線駅の場所は、基線に近そうです。実際に道路があったわけではないようなので、付近の地名は一般的に西一線だったのかもしれません。

塩幌駅 (足寄町上利別)
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2006年に廃止された銀河線の駅です。国道から道道468号の反対、南東へ曲がり、細い砂利道のわりと急な坂を下ります。この踏切跡のすぐ北にあったようです。駅は線路跡のような道の右にある林のあたりだと思われます。このあたりには、古い建物1棟があるだけです。

塩幌・・・利別川の右岸支流に塩幌川があります。松浦、チポポロ。永田、supo(箱川)。駅名の起源、sut-poro(末広がる沢)、suop-poro(箱・大きい)。山田案、sup-oro(激流・所、チョウザメの産卵穴・所)。諸説あります。
戦前に塩幌特別教授場というがあったそうです。

白糸小中学校 (足寄町白糸)
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国道から道道468号に入ります。塩幌駅からだと正面が道道です。塩幌川を約4㎞さかのぼったところ。道道468号沿いです。白糸地区案内板があります。白糸集落センターが建っているところの手前に校舎があったようです。

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案内板の左の方、校門の後ろに大きな記念碑があります。奥に見える鳥居の前あたり一帯がグランドだったようです。白糸小学校は1951年開校、1966年上利別小学校と統合しました。併置していた白糸中学校は1954年開校、1966年上利別中学校と統合しました。
西塩幌川の支流に白糸ノ滝があるので、そこからの地名でしょうか。

茂喜登牛小中学校 (足寄町茂喜登牛 五十鈴)
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そのまま道道468号を13㎞くらい進み、道道663号の分岐点から1kmくらい西にあります。左にある体育館は開口部が作られていて、農業機械の倉庫に使用しているようです。

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校舎は戦後開拓記念館だったようですが、看板が落ちているようです。

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グランドは便所棟の奥の方でした。茂喜登牛小学校は1947年開校、1970年芽登小学校と統合しました。併置していた茂喜登牛中学校は1951年開校、1969年足寄西中学校と統合しました。道路をはさんで反対側に茂喜登牛集落センターがあります。