廃校 吉野小学校、吉野中学校、静内小学校、統内小中学校
学校 旧豊頃中学校
駅舎 下頃部駅
《十勝10-3》 廃校・廃線 根室本線下り① <豊頃=浦幌-統内>
◆ 吉野小学校 (浦幌町共栄)
国道38号線沿いにあります。白い校舎が残っています。
校門を入ると左に閉校の碑があります。付近の路面は痛んでいて、使われていないようです。
体育館の所の入口です。
1900年 開校。碑によると、1924年2月 萩野尋常小学校と改称、1924年3月 吉野尋常小学校と改称。萩野小学校の期間が約1ヶ月。萩と葦(アイヌ語でsarは葦原)は違う植物ですが、地名によく使われます。単なる思い付きですが、萩野と葦野(吉野)で何かあったのかもしれません。2005年浦幌小学校と統合しました。
◆ 吉野中学校 (浦幌町平和)
根室本線の北側にあります。こちらの道路沿いに建っていた校舎はなく、校地の右側がパークゴルフ場になっています。1952年 吉野小学校併置から独立。1980年 浦幌中学校と統合しました。
1969年頃、浦幌からみんなでで歩いてきたことがあったのを思い出しました。遠足だったのでしょうか。50数年たっているので、理由をよく思い出せません。片道6㎞位あります。
● 下頃部駅 (浦幌町吉野)
新吉野駅の旧駅名です。1910年に下頃部駅として開業、1942年 新吉野駅と改称しました。字下頃辺から字吉野に変わったのが1953年。大正時代から小学校が吉野小学校だったので、付近は吉野と呼ばれていたのかもしれません。奈良県に吉野駅があるので、新吉野駅。
浦幌川の右岸支流である下頃辺川からの地名です。永田、sita-kor-pe(犬を産みたる処)。山田、sitat-kor-pe(マカンバの木・の・川)。更科、シタッ・コロ・ペ(ウダイカンバのある川)。これで読みが「したころべ」であることがわかります。
▽ 浦幌駅 (浦幌町本町)
・浦幌駅から主に十勝川右岸を引き返します。まず、平和塔の山を越えて行きます。
この平和塔、1960年代にはあったと思うのですが、70年代にできたというサイトがあり、自信がなくなっています。
◆ 静内小学校 (浦幌町静内)
道道1038号沿いにあります。横に神社があり、校舎跡に静内会館が建っています。
壊れかけた像がありました。小学校時代の名残でしょうか。1904年 開校、1977年 浦幌小学校と統合しました。
遠足だったのでしょうか、一度、この小学校に来たことがあるのです。代表が児童と競争などをしたような気がするのです。
▼ 静内川・・・浦幌川の左岸支流です。意味は諸説あるようです。sut-nay(麓・川)。永田、sittuney(両山の間)。安田、sutu-nay(ブドウ・沢)。更科、シュツネー(狭い沢の入口)、など。静内といえば、日高の元静内が有名です。
◆ 旧豊頃中学校 (豊頃町中央若葉町)
1955年 茂岩中学校と旧々豊頃中学校が統合してできました。当時の住所は育素多(いくそた)だったようです。現・豊頃中学校のグランドの南の方、野球場のあたりに校舎がありました。1976年、礼文内中学校と統合し、豊頃中学校になりました。
▽ 豊頃中学校 (豊頃町中央若葉町)
1976年 旧豊頃中学校と礼文内中学校が統合してできた現在の学校です。現豊頃小学校につながるように新築されるという話があります。
▼ 育素多沼・・・十勝川河畔の沼。i-uk-us-to(ota)で菱の実をいつも採る沼(浜)、yuk-us-otaで鹿多くいる砂浜、などがあります。明治の地図では、沼がイウクウシユトー、周りがイウクウシュオタというのがありました。
◆ 統内小中学校 (豊頃町統内)
国道38号線沿いです。統内生活センターの看板の道を入り、統内生活センターの斜め向かい側。入口の右に碑があります。左側がグランド跡のようです。校舎にカフェが入っていたようですが休業していました。今は、私有地なのでしょうか、立入禁止でした。
なんとか二宮像をとらえることができました。国道からも校舎の一部は見えます。統内小学校は1905年開校、1993年 茂岩小学校と統合しました。併置していた統内中学校は1965年に豊頃中学校と統合しました。