廃校 西当縁小学校
廃駅 忠類駅
廃線 広尾線
駅逓 以平駅逓忠類出張所
《十勝25-7》 廃校・廃線 広尾線① <上更別駅=忠類駅-西当縁> (7/8)
△忠類坂(忠類村朝日)
忠類坂は上更別と忠類の間にある坂道です。上更別駅で標高180mくらい、忠類駅で90mくらいなので広尾線もかなり下ります。坂の途中145mくらいの所。国道の高台バス停付近から南へ入った所です。広尾線が近くを通っていたはずです。
国道の横を下っていた線路跡でしょうか。
現在、一般に国道236号線の坂を忠類坂と呼んでいます。このあたりの国道は1955年頃できたようです。昔から忠類坂があったとすれば、どこなのでしょうか。
●忠類駅(忠類村幸町)
1930年に開業した広尾線の駅です。上更別駅から8km。1987年に広尾線の廃線で廃止になりました。駅舎は残っていて、周辺は交通公園となっています。
貨車・車掌車があります。雪が解けてすぐなので、雑然とした感じはあります。
国鉄バスとの乗り換えで何度か利用したことがあります。はっきりとした記憶があるわけではないのですが、駅のこの光景がなぜか懐かしさを覚えます。
一度、列車までの時間に駅前で食事をしたのですが、約50年前のことなのでどこだったか思い出せません。
▽似平駅逓所忠類出張所(忠類村)
1910年から1916年まであったそうです。場所はわかりません。帯広方面までは、尾田・上札内の方が重視され、忠類・似平は廃止されたそうです。
十勝東和駅の近く(忠類大樹インター付近)を通る南北の道は古くからあるようです。その道の北への延長部と帯広広尾道の交差するあたり(北10線30号)です。古い石碑があります。左は読めましたが、右の二つは何かわかりません。石碑の前を北に進むと、イタラタラキ方面へ向かうような気はします。以平-大樹間は現国道経由だと、約5里なので、どこかはわかりませんが、近い道があったように思われます。
▼忠類・・・当縁川の支流名からついたようです。ciw-ruy-topuyで「流れ・激しい・当縁川」からだそうです。どの川かはっきりしませんが、忠類坂に一番近い川という説があります。
忠類川は根室の標津にあります。こちらはサケで有名です。
忠類村はかつて当縁村の一部でした。1906年茂寄村に編入、1928年茂寄村から大樹村が分村。忠類村は、1949年大樹村から分村しました。2006年幕別町に編入しました。
◆西当縁小学校(忠類村西当北5線31号)
忠類から、北10線に入り、西当斜線へ、帯広広尾道をくぐりそのまま進みます。突きあたりが五差路で、そこにある西当寿の家駐車場の右に閉校記念碑「螢雪の碑」があります。
寿の家の隣にある西当神社の裏から校舎跡方面。神社の裏はグランドでした。今は牧草地になっているようです。向こう側に見える崩れている建物は校舎でしょうか。
道路から見て左右に建っていた校舎かもしれません。足場が悪く、風が少しあり、トタンがバタバタなっているので近づかずここまでにしました。
1936年西当縁尋常小学校として開校、1974年忠類小学校と統合しました。
場所はわかりませんが、北3線に1929年設立の明道尋常小学校上当縁特別教授場があったそうです。