しのうしのブログ

たまに外出

《十勝 2》廃校・廃線 士幌線② 廃校・廃線 <武儀=上士幌-足寄> (1/2)

廃校 中士幌中学校
廃駅 中士幌駅新士幌仮乗降場士幌駅北平和駅
廃線 士幌線士幌農協専用線王子製紙馬鉄
駅逓 中士幌駅逓上士幌駅逓

《十勝 2-1》廃校・廃線 士幌線②  武儀=上士幌>

・帯広から上士幌経由で足寄行きのバスがありました。主に国道241号線沿いです。

中士幌駅 (士幌町中士幌西2線)
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1987年に廃止になった士幌線の駅。この道の突き当たりにある横の道路の手前、ごみステーションの少し前あたりに駅舎があったようです。音更駅もそうでしたが、駅がなくなっても道道中士幌停車場線のままです。

中士幌中学校 (士幌町中士幌西2線)
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国道沿い西側にあります。国道から見えていた体育館がなくなっていました(202106)。もし駐車場が拡張されるとその跡も消えてしまうかもしれません。奥は中士幌地区公民館、左側がグランド跡。50年以上前に何かで来たことがあったはずですが、何だったか記憶に残っていません。統合でいろいろあったようですが、1967年士幌町中央中学校に統合しました。

中士幌駅逓 (音更町東音更幹線62)
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住所は音更町、昔このあたり一帯は中士幌でした。幹線で9号の少し北。音更町文化財の標柱があります。駅逓は1908年に設置され、大正時代に廃止されたようです。

駅逓所・・・主に辺地に置かれた施設。開拓者や旅人の宿泊、馬の貸し出しなどを行った。当時は、交通網は未発達、人口も希薄でした。

士幌町発祥の地記念公園 (士幌町中士幌幹線)
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中士幌駅逓から近かったので寄ってみました。道道沿い。美濃の家のほか、碑などがあります。ここより少し北に寺町という市街地が形成されましたが、今は消滅しています。その説明板もあります。明治31(1898)年美濃開墾合資会社の一行が入植。美濃ということは、岐阜県出身ということになります。

新士幌仮乗降場 (士幌町中士幌西2線)
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1987年に廃止された士幌線にあった仮乗降場。国道から19号に曲がリ、進むととありました。19号がカーブするあたり。ここの畑の中だったようです。路線は、道路に垂直で北に進んでいました。


現道の駅の北 (士幌町士幌西2線)
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今は国道274号線になりました。士幌線の踏切があった辺りから北向き。少し前までは、左の建物の右側に斜めに線路跡らしいものが感じられましたが、大きな馬鈴薯貯蔵施設ができていました。
ここより少し西の音更川に架かる士幌大橋のところで、十勝石を拾ったことがあります。

旧道の駅の北 (士幌町士幌西2線)
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移転する前の道の駅の所です。南向きなので、左に国道があります。線路跡も正面より少し左。こちら側は駐車場ですが、北側は線路跡が感じられます。線路の跡に道の駅がありました。しほろキッチンになっています。

士幌駅 (士幌町士幌西2線)
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1987年に廃止になった士幌線にあった駅。交通公園になっており、駅舎や貨車などが残されています。中士幌駅の駅名標もありました。士幌線では唯一残っている駅舎です。問い合わせていなかったので、中には入れませんでした。

▼ 士幌川・・・士幌の名の元になった川です。ここより東の方にある十勝川左岸支流。意味ははっきりしないようです。更科、si-poro-pet(本当に大事な川)、si-horka-pet(本当に後戻りする川)。永田、su-woro-pet(鍋を水につけた川)。松浦、(滝のような急流)→普及会議ではsuporo。?、(広大なる土地)。

士幌農協専用線 (士幌町士幌西1線)
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士幌駅の少し北。士幌駅方向です。右は士幌線跡、旧版地図に見える専用線は写真の後方で分岐して、左奥の建物の方、国道近くまでのびていました。
士幌農協はいろいろなことに取り組んでいるイメージがあります。(牛の頭数)/(人口) は10倍でたぶん北海道で一番。でんぷん、ポテトチップス、じゃがりこなどを作っている。よつ葉乳業の創業者も士幌農協の太田寛一氏でしたね。

平和駅 (士幌町士幌基線)
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1987年に廃止された士幌線にあった駅。国道から33号に曲がり、進んでいくと林を過ぎたあたりになります。士幌農協のスイートコーン圃場になっていました。手前の空き地から畑にかけて駅があったようです。新士幌同様ただの畑です。線路はこのあたりを斜めに通っていました。

上士幌駅逓 (士幌町士幌西1線218)
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上士幌町境の近く。草が多かったのですが、道路標識周辺の草が刈ってあったので説明板を発見できました。1914年から1926年まであったようです。中士幌より上流にあるので上士幌なのでしょう。付属地55ヘクタールもあったのですね。

音更川の網羽 (上士幌町上士幌西1線)
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大正12年頃から昭和16年にかけて、音更川王子製紙の網羽がありました。36号付近~38号付近だそうです。上士幌駅が開業してから、網羽から王子製紙の馬鉄が主に旧国道沿いに上士幌駅まで敷かれていました。写真は四十号橋から北方面。四十号は音更側の号数、士幌側だと36号と37号の間です。網羽はどこにあったのかはわかりません。

流送・・・りゅうそう。河川の水流を利用して木材を下流に運ぶこと。交通が未発達の頃に行われた。50年近く前、更科源蔵「北海道繪本」の「流送の唄」で知って以来、久しぶりに勉強しました。

網羽・・・あば。網場とも。流送で流れてきた木材を捕らえて・留め・陸揚げする所。ここよりも下流音更町の木野にあった網羽跡は音更町文化財となっています。