しのうしのブログ

たまに外出

《十勝26》 廃校・廃線 広尾線② <愛国=中札内-上札内-大樹> (1/8)

・愛国駅から南へ、上札内経由の広尾道路を進みます。

廃線 広尾線北海道製糖幸震線 
学校 旧大正小学校 

《十勝26-1》 廃校・廃線 広尾線② <愛国駅=大正駅

ケショウヤナギ自生地帯広市大正町西1線)


ケショウヤナギは川岸に生える落葉樹。若枝は春先に白い粉を吹くため、化粧柳というそうです。北海道の天然記念物に指定されています。帯広市の史跡表示板があるそうなので来てみましたが、発見できませんでした。葉っぱのないこの季節、正確には、葉っぱがあっても木の種類はわかりません。


音更川河畔の柳町中央公園にも化粧柳群生地跡の標柱があります。中札内の札内川上流や芽室町などにも群生地があるそうです。

●北海道製糖幸震線帯広市大正町基線、大正町東1線)

(後の)十勝鉄道路線の川西12号付近から分岐して、札内川を渡り、幸震(現大正)までありました。1920年に敷設され、翌年撤去されたようです。1929年の国鉄広尾線ができる前です。


大正側では、光心寺の北で基線(国道236)を通っていました。国道からの西方向。左端に見えるお寺が光心寺です。光心寺の北(手前)にビートの集積場があったそうです。


ヌップク川の東、東1線の西を幸震の17号(道道62)付近まで敷設されたようです。ここは12号です。広尾線が左に見える東1線から少しずつ離れるように通っていた所です。地図から推測すると、幸震線はこのあたりから広尾線の近くを通っていたように感じます。

●大正跨線橋帯広市大正町東1線17号)


国道から東へ、道道62号が広尾線を越える陸橋でした。1980年竣工。帯広広尾道ができる前は、帯広空港へ行く道の一つとしてよく通りました。


現在、跨線橋の北側に線路跡はなく、すぐ畑です。南方が大正駅方向なのですが、住宅が建っており、ここで全体を撮るのは難しいようです。


国道から見た大正跨線橋です。

◆移転した大正小学校跡(帯広市大正本町西1条1)


国道236号線を道道62号に曲がるとすぐです。校舎跡には帯広市役所大正支所・農業者トレーニングセンターが建っています。グランド跡は駐車場と公園になっています。


西側に二宮像の台座のみ残っています。


公園の中に碑「想い出」がありました。旧大正小学校跡の碑です。1900年幸震簡易教育所として開校。1903年に幸震尋常小学校。1928年当地に移転。1941年に大正尋常小学校。1972年に市街地南部の現在地に移転しました(統合により閉校し、新・大正小ができたことになります)。
1951年まで大正中学校を併置していました。

札内川・・・十勝川の右岸支流です。アイヌ語のsat-nay「乾く・川」からです。道内他所にもある地名です。渇水期に、水が扇状地礫層に潜り込んで伏流水となり、涸れてしまうことがあるようです。今はダムがあるので、名前がついた頃と同じ条件ではないかもしれません。10年くらい前、中札内から上札内にかけて水が消えてしまったことがあるそうです。


写真は2017年大正の第二大川橋付近の札内川です。川の水が消えていたわけではありませんが、水が礫の間から出ているところがあったので撮りました。