廃校 愛国中学校、桜木小学校
廃駅 北愛国駅、愛国駅
廃線 広尾線
《十勝25-2》 廃校・廃線 広尾線① <北愛国駅=愛国駅-桜木>
●北愛国駅(帯広市愛国町)
待合所やホームは線路東側の旧広尾街道側にありました。現在、道路から駅跡への道は、個人宅への入り口のように見えます。
西の道路沿いの北愛国会館が建っているところは、ホームの反対側になります。入り口にロープがあり、入れなくなっていました。
南北にある畑の境から推測すると、右の駐車場の奥の方に線路があり、ホームや待合所があったようです。
▼鵺抜・・・愛国付近の旧名です。松浦、ムイ子ヒ、ヌイ子ウンケ。永田、muyne-un-kep「湾」。更科、ムイネウンケプ、など。muyなら「箕」、moyなら「湾」。明治時代の地図では札内川右岸にムイ子ウンケプピラがあり、鵺抜(ムイ子ウンケプ)村があります。鵺抜(ぬえぬんけ)という地名の発祥の場所はここではないかと思われます。
北愛国駅と愛国駅の間。畑が広がっており近づけませんが、畑の向こう側、木の生えている所に大きく半円状に段丘崖(ピラ?)が見えます。段丘面の差は10m弱でしょうか。ほかの場所にも段丘崖はありますが、この形は「箕」と見てもよさそうです。
広尾線は崖の高い方の縁を下って、右方の愛国駅へ向かっていました。
ここは愛国小学校です。併置だった愛国中学校は1947年大正中学校愛国分校として開校。1957年愛国中学校になり、1965年帯広第七中学校に統合しました。
愛国小学校は、1904年私立幸震家庭教授所、1905年幸震尋常小学校第一出張所として開校。1924年愛国尋常小学校と改称しました。
かなり前、愛国小学校には来たことがありました。
校地のすぐ東を広尾線が通っていました。愛国神社の横から北方向です。正面奥が現在の愛国小学校。畑の右にある段丘崖のあたりを広尾線が通っていたようです。
1929年に開業した広尾線の駅です。北愛国駅から4.3km。1987年広尾線の廃線で廃止になりました。駅前からの愛国駅。駅舎は交通記念館です。
駅舎の手前にある古い車輌。
ホーム側からの駅舎。駅周辺は公園になっています。
蒸気機関車19671号が静態保存されています。
2022年11月10日に訪れたところ、SLにシートを掛ける作業していました。風が少しありましたが、16℃位でこの時期としては暖かく、作業を行いやすい気温だと思います。
愛の国から幸福へという縁起切符を売っていました。
愛国は愛国青年会から地名化したそうです。
校門はありませんが、学校の入口と思われるところから。左のグランド跡の向こう側、この道の先の左に校舎があったようです。右には桜木農業センターが建っています。
グランド跡の西端にある木の横に二宮像が見えます。
後ろのプレートによると、開校50周年記念に建てられたようです。1905年上途別教育所として開校。1912年に上途別尋常小学校、1963年に桜木小学校と改称。1968年に校舎火災。1969年大正小学校と統合しました。
以前同じ職場に、ここの学校の出身の方がいました。旧学校名や火災になった話をうかがいました。神社から少し離れていることも。