しのうしのブログ

たまに外出

西帯広・芽室方面に行きました

西帯広・芽室方面に行ってみました。

廃校 帯広商工高校西分校 
学校 帯広尋常小学校伏古分校旧伏古尋常小学校・明徳尋常小学校・伏古尋常小学校分教場西小学校帯広第二中学校 
駅逓 芽室駅逓 

コース12は帯広から清水方面でした。
その時、知らなかったところなどの追加などです。
雪があるのは、今年の撮影です。

 

帯広尋常小学校伏古分校跡(帯広市西21北3)
1898年に開校した帯広尋常小学校伏古分校は、現在の西小学校の前身です。


場所は北2線西57だそうです。縦の道路が10号(西21条)、右に見える横の道路が北2線です。西57番地は、10号よりも西(左)になります。北2線の北なので、今は十勝川の堤防・河川敷になっている区画だったようです。正面の高くなっているところが十勝川堤防。

伏古尋常小学校跡(帯広市西20北1)


伏古分校は、1899年に伏古尋常小学校と改称した後、1901年に伏古神社の東(北1線54)に移転しました。右の道路は北1線で少し先に伏古神社があります。神社から東(手前)へ54,52,50番地だったようです。石碑のある所は52番地くらいに当たりそうです。
伏古尋常小学校は、1916年にここから少し離れた、現在西小学校がある伏古市街地東1条に移転しました。反対する人たちが、この付近(北1線西52)に私立明徳尋常小学校を作ったそうです。明徳尋常小学校は1918年伏古尋常小学校の分教場になり、1937年に廃止になりました。

帯広商工高校西分校帯広市西23南1か)
資料に学校名は出てくるのですが、場所がわかりません。帯広柏葉高校の沿革によると、1949年4月から1950年3月まで帯広商工高校の伏古分校となっています。
西帯広郷土史では、「1948年12月、帯広商工西分校開校式」「1949年1月11日、定時制高校西分校女子部、旧警防会館で開講」というのがありました。警防は今の消防のようなものでしょうか。警防会館の場所は不明です。独自の校舎はなかったものと思われます。


場所はわからないので、写真は現在の消防(右)・西小学校(左)方面。見つかる資料があるといいのですが。

帯広市西小学校帯広市西23南1)


帯広尋常小学校伏古分校が伏古尋常小学校となり、1916年当地に移転しました。1941年に西国民学校になりました。現在の帯広市立西小学校、国道からの校舎です。


数年前に、西小学校を訪問したときに室内から撮影した外の様子です。今と同じ頃でしょうか、雪が降っています。

帯広第二中学校帯広市西24南1)


帯広第二中学校は、1947年、西小学校で開校。1948年、西24南1に独立移転しました。右の道路は国道38号線


西24条通はよく通りました。校門の所にある桜の花が印象に残っています。
以前から、緑園中学校との統合の話はあります。延期になりましたが、どこまで進んでいるのかはわかりません。

 

美生川芽室町北1線)
十勝川の右岸支流です。芽室市街地のすぐ東を北流、十勝川に注いでいます。


美生橋下流の河川敷に十勝石を探しに行ったことがありました。ここで探した十勝石は十勝石Ⅱと呼ばれているもの。光沢が鈍く、結晶の多いのが十勝石Ⅱで、約75万年前といわれています。写真はここで見つけた十勝石Ⅱです。

芽室駅逓芽室町基線)


明治40年(1907年)頃の芽室旧市街図によると、基線(国道38号線)と西24号(道道54号)の交差点。国道の北側、道道の西側に遠山(駅逓)とありました。芽室駅逓所は1900年から1908(明治41)年まであり、取扱人は遠山房吉氏だったので、ここになるものと思われます。
今は何もありませんが、この交差点あたりだったということになりそうです。横が国道、右の縦は道道