廃校 大誉地中学校、上大誉地小学校、薫別小学校
廃駅 大誉地駅、薫別駅
廃線 池北線
《十勝21-2》 廃校・廃線 池北線⑥ <大誉地=薫別>
◆大誉地中学校(足寄町大誉地本町)
左に見える現在の大誉地小学校の右奥、グランドの向こう側にあったようです。1947年大誉地小学校に併置で開校。1950年独立、新校舎。1953年から再び大誉地小学校に併置。併置ということは、近くだったのではないでしょうか。1973年上利別中学校と統合しました。
1959年の写真(国土地理院ウェブサイト)に写っている大誉地小学校敷地南側の建物ではないかと思います。市街地を見渡しても、グランド跡らしいところが他に見つけられません。右端に大誉地駅があります。
大誉地小学校は1908年上利別特別教授場として開校しました。1917年大誉地小学校に。1972年上利別小学校と統合し、1973年に新校舎ができました。
●大誉地駅(足寄町大誉地本町)
1913年開業、2006年に廃止された銀河線の駅です。正面に駅舎がありました。
ホーム跡が残っているようです。右にキロポストらしいものが見えます。
かつて、子供が銀河線に乗ったことがないというので、大誉地駅から足寄駅まで乗せました。列車が出た後、車で追いかけ、列車が西一線駅を出たところで列車に追いつきました。
そのときの駅舎はなくなりました。2015年頃解体されたようです。
◆上大誉地小学校(足寄町上大誉地)
道道772号沿いです。大誉地駅跡からは約6㎞。木が茂っており、正確な場所はわかりません。道路の反対側に上大誉地集落センターがありました。
センターに登る坂道から下の方向。左にある道らしき所を下ったところに校舎、その南にグランドがあったと思われます。1917年上大誉地特別教授場として開校。1964年大誉地小学校と統合しました。
▼大誉地・・・松浦、ヲヨチ。永田、oyochi「熊害多き処」。更科、オイオチ「そこに蛇多い所」。山田、o-i-ot-i「川尻に・それ・多くいる・もの」。現・大誉地川の南の川がオンネオヨチだといいます。
●薫別駅(陸別町薫別)
1958年開業、2006年に廃止された銀河線の駅です。国道からだと南へ曲がり橋を渡り、次の道を東へ。国道から500mくらいの所。大誉地駅からは利別川を左岸に渡り北上します。この道路のすぐ北、道床のように見える所の横に駅があったようです。
その東、道路沿いの木の所に待合室があります。道路の補修部分に線路があったようです。
待合室の中を見てみると撮影時(2022年4月)のカレンダーが掛かっていました。管理している方がいるようです。
◆薫別小学校(陸別町薫別)
ペンケクンベツ川の沢にあります。薫別駅跡から南へ約1㎞下り、東へ向かい池北線線路跡を過ぎ、道が左にカーブする所。当時は正面の坂を上がってグランドに行けたのではないかと思います。下から右へ回る道は畑の横の私道のような感じです。
校舎は坂の上の平地にあったようです。現在は牧草地で私有地のようです。1911年薫別特別教授場として開校、1973年陸別小学校と統合しました。古い地図では学校の横に神社の記号があります。
ペンケクンベツ川をさらにさかのぼると、岡山という地区があります。1925年までそこにも教授場がありました。
▼薫別・・・松浦、クンベツ。駅名の起源、クンネ・ベツ「黒い川」。更科、ク・ウン・ペッ「仕掛け弓おく川」。山田、kunne-pet「黒い・川」、ku-un-pet「仕掛け弓・ある・川」。このあたり川の名前がはっきりしません。利別川の左岸にペンケクンベツ川、ポンクンベツ(小黒川?)、右岸の大誉地川がクンベツだともいいます。