しのうしのブログ

たまに外出

《十勝19》《上川2》 廃校・廃線 根室本線上り③ <新得=下金山> (2/4)

廃校 落合小中学校北落合小中学校幾寅小学校幾寅中学校
廃駅 狩勝信号場
廃線 根室本線旧狩勝線、落合森林鉄道、(トマム森林鉄道)、(幾寅森林鉄道)
駅舎 落合駅幾寅駅
駅逓 落合駅逓
学校 旧南富良野高校

《上川2-1》 廃校・廃線 根室本線上り③ <狩勝峠=幾寅>

勝信号場南富良野町落合)


1907年に給水炭所として設置され、1922年に信号場。1951年旅客取扱。1966年に新線ができたため廃止された旧根室本線の信号場です。ペイユルシエベ川上流、狩勝トンネルの落合側に設けられました。上り方に引き込み線2線と下り方折返し線1線を持つ信号場です。説明板があります。土木学会選奨土木遺産。今回は遠望です。

19628月の築堤決壊の前、列車に乗って通っています。60年前なので、記憶にありません。いつか行ってみたいと思っています。

ペイユルシエベ川・・・空知川の左岸支流です。この川はパンケユクルベシベではないかという説があります。旧根室本線落合駅からこの川に架かる橋は第1~第3鹿渡川橋だそうです。パンケ・ユク・ルペシペなら「下流側の・鹿・道をたどる沢川」なので、そこからの名称かもしれません。ペイユルシエベはペンケユクルベシベと音が似ています。支流の名称に混同があるのかもしれません。

落合駅南富良野町落合)


1901年に開業した根室本線の駅です。現在は東鹿越駅と新得駅間に代行バス運行中。もう列車は来ないようですシーソラプチ(空知川)とルウオマンソラプチ川が合流しているので落合。学生時代に列車で通過するときは、ある程度側線のあるそれなりの駅という印象がありました。


今は列車が来ないので、小さな駅のホームも草だらけです。
落合駅の北にある空知川1989年のはまなす国体で、カヌーのスラロームが行われました。別の大会の時ですが、見に来たことがあります。

●落合森林鉄道・トマム森林鉄道南富良野町落合)


落合森林鉄道は落合駅から、シーソラプチ川右岸にのびていたようです。1928年から1943年までありました。落合駅の北、空知川に架かる北落合橋の上から空知川上流方向です。森林鉄道の橋梁はこの北落合橋のすぐ上流の空知川に架かっていたようです。

その先が川の合流点。旧根室本線の橋梁は中央に見える国道の手前、ルウオマンソラプチ川に架かっていました。国道の橋と川の合流点の間が短く感じます。その間だったはずです。

トマム森林鉄道は1922年から1928年まで22.9㎞あったそうです。詳細はわかりません。

落合駅南富良野町落合)


1899年から1927年まであったそうです。鹿越駅逓から418町。落合駅駅前通を国道に向かって進むと左手に標柱が立っています。

落合小中学校南富良野町落合)


国道38号線沿い、校舎は少し高い所にあります。学校名の「落合小」と「学校」の間に中があったようです。右には大きな石の記念碑があります。


校舎、体育館は残っています。右端の体育館には入ったことがあります。落合小学校は1901年落合簡易教育所として開校、2014年新設の南富良野小学校に統合しました。併置していた落合中学校は1947年幾寅中学校落合分校として開校、1955年落合中学校になりました。2005年新設の南富良野中学校に統合しました。

北落合小中学校南富良野町北落合)


位置的には落合の北になります。落合からも、幾寅からも道路があります。落合駅から約9㎞。校門、校舎、体育館は残っています。校舎は会社が使用しているようです。


体育館は公民館の裏で、校舎より一段低いところにあります。1919年東特別教授場として開校、翌年閉鎖。1936年北落合尋常小学校としてできました。2014年新設の南富良野小学校に統合しました。併置していた北落合中学校は、1955年落合中学校北落合分校として開校でしょうか、1959年北落合中学校になりました。1965年幾寅中学校と統合しました。

幾寅駅南富良野町幾寅)


1902年に開業した根室本線の駅です。現在は東鹿越駅と新得駅間に代行バス運行中。今年は寅年。(たぶん)唯一「寅」がつく幾寅駅。寅年が幾寅駅の最後の年になるのでしょうか。


1999年の映画、「鉄道員(ぽっぽや)」の幌舞駅のセットがあります。


石勝線ができる前は札幌まで急行「狩勝」1本で行くことができました。そのころは2線あったように記憶していますが、1線になっていました。スキー場が見えるので札幌方面です。

幾寅森林鉄道南富良野町幾寅)


幾寅駅-久住間に1921年から1928年まであったそうですが、詳細は不明。9.2マイルは約14.8kmなので1本だとすると北落合の奥まで行きます(久住までだと約3km)。その頃の幾寅駅の駅舎は線路の南側にあったそうです。現在の幾寅駅、久住に近い北東側。

◆移転した富良野高校跡南富良野町幾寅)


国道38号線沿いです。門の右の体育館は町民体育館となっています。


正面から右側にかけてL字型に校舎がありました。右側の一部が残っています。以前、校舎部分は卓球などの体育室としても使われていました。1949富良野高校幾寅分校として、幾寅小学校に併置で開校。1952年南富良野高校になりました。1980年に現在の校舎に移転しました。

幾寅小学校南富良野町幾寅)


以前は、南の幾寅基線側に校門と校舎がありましたが、統合後は奥に立派な校舎ができました。旧入口から校舎が見づらくなったので、旧南富良野高校の裏にあたるグランド側からです。幾寅小学校は1904年幾寅簡易教育所として開校。2014年幾寅小学校・落合小学校・北落合小学校を統合し、南富良野小学校になりました。

幾寅中学校南富良野町幾寅)


1947年幾寅小学校で開校、1949年に校舎ができました。2005年町内の中学校を統合し、南富良野中学校になりました。2010年新校舎ができました。ちょうど生徒が外に出ていました。十数人なので、ひと学年のようです。

ユクトラシベツ川・・・空知川の左岸支流です。幾寅峠付近から北流して、小学校の近くを流れる川です。yuk-turasi-pet「鹿が・それにそって登る・川」の音を後略したものが幾寅。南富良野町には南富良野市街はありません。幾寅市街に役場などがあります。国道38号線が市街地で直角に曲がるのも特徴です。