しのうしのブログ

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《十勝17》 廃校・廃線 拓殖鉄道① <新得=屈足-富村牛> (2/3)

廃校 新得高校屈足分校屈足小学校岩松小学校
廃線 十勝上川森林鉄道、王子製紙森林鉄道
学校 旧屈足中学校
駅逓 ペンケ沢(岩松)駅逓

《十勝17-2》 廃校・廃線 <屈足-岩松>

・十勝上川森林鉄道沿いを進みます。

王子製紙軌道新得町屈足旭町)


1928年拓鉄の屈足駅ができたので、新得まであった中村組の馬鉄が岩松から屈足までになりました。1934年にガソリンエンジンになったそうです。その後、中土場まで延びたようです。1950年営林署の森林鉄道になりました。土場は屈足駅の東側だったようなので、屈足駅跡付近から東方面。

●十勝上川森林鉄道新得町屈足幸町西1)


王子から買収・敷設して森林鉄道になったそうです。1950年から1965年までありました。屈足市街西部の幸町に貯木場がありました。
今も木材が見えます。少し先の鉄塔付近は、屈足駅から延びていた拓殖鉄道の引込線の近くではないかと思われます。森林鉄道はこの道(21号)への出入口に見えるところから右へ進み、基線と西1線の間にあった水路に沿って上流に延びていました。

新得高校屈足分校 (新得町屈足基線15)


1950年清水高校屈足分校として屈足中学校併置で開校。1952年新得高校屈足分校になり、屈足南小学校に併置。1957年に校舎完成。1968年に閉校しました。町史にある基線15では場所がよくわからないのですが、屈足南小学校(柏町)の北側にあったようです。屈足南小学校の体育館のある、この縦の道路沿いだったのでしょうか。
1962年の十勝岳噴火の時、上富村牛小中学校の子供たちが、ここを仮校舎にしたそうです。

王子製紙軌道新得町屈足基線25号)


王子製紙軌道は、屈足駅東の土場から、屈足駅の西に出た後、基線(道道718)に戻り北上。ここ25号で左折し西進、西1線のあたりを再び北上、28号付近から旧中村組の軌道を利用したようです。写真は25号から基線方向。軌道は防雪柵のある基線(道道)からこちらへ曲がっていたようです。

●十勝上川森林鉄道 (新得町屈足基線25号)


左に見える農地の横の道は森林鉄道の跡のようです。同じ時期ではありませんが、手前の左右の道(25号)に沿って王子の軌道がありました。遠くに見える建物群は旧屈足小学校周辺です。

屈足小学校新得町屈足基線26号)


道道718号沿いにあります。現在、校舎は会社が使用しているようです。校門はなく、入口に立入り禁止の三角コーンがありました。そのため閉校の碑や二宮像は確認できませんでした。


北側の26号道路からのようすです。1904年屈足特別教授場として開校。ここより南方に拓鉄屈足駅ができ、周辺が発展しました。そこに1952年に屈足南分校ができました。2004年、本校だった屈足小学校が分校だった屈足南小学校と統合しました。

◆移転した屈足中学校跡新得町屈足基線42)


1947年屈足小学校で開校。1948年小学校隣接地に校舎が完成したそうです。その場所は屈足小学校の西側だと思われます。1976年現在地(緑町西4)に移転しました。一時期、清水高校屈足分校を併置していました。


校地のすぐ西側を森林鉄道が通っていたようです。木々の奥が中学校跡、その手前、橋の向こうの左右の道が森林鉄道跡。さらに手前が水路、橋の右側の水路は空、左側は埋められていました。水路は稲作が盛んだったことによるようです。

屈足27号露頭新得町屈足)


屈足27号付近の先にある十勝川の左岸に見える高さが100mくらいある露頭(がけ)です。大きく目立つ崖なので、狩勝峠などあちこちから見ることができます。十勝三股火砕流が観察できます。上が渋山層。その下は4回の十勝三股火砕流が堆積しています。
地元ではガンケと呼ばれるようです。ある音の前に「n」が添加されるのはたまにあります。がけ→ガンケ、すぐ→スング、まだ→マンダ、など。

●森林鉄道橋梁新得町屈足東1線31号)


水路に架かる橋です。知識がないので橋の構造を見ても当時のものかはわかりません。森林鉄道の経路を見るとこのあたりを通っていたと思われます。ここより一段低いところにも橋がありますが、幅が広いので後からできた水路にかかる橋のようです。

△カムイロキの柱状節理新得町屈足)


屈足ダムでできた、くったり湖の左岸にあります。十勝三股からの火砕流が溶けて固まったもので、溶結凝灰岩といいます。溶けた火山灰が冷えるときに収縮によって亀裂が入ったのが柱状節理。表面から冷えるので、縦に亀裂が入るそうです。


温泉の近くに、新得町のカムイロキの説明板があります。カムイロキ kamuy-rok-i 「神が・お座りになっている・所」だそうです。足寄にもカムイロキがあります。
ここの温泉の西を森林鉄道が通っていました。

●森林鉄道橋梁 (新得町屈足)


道道718号の南岩松橋よりパンケニコロ川上流方面。森林鉄道の橋脚があったそうですが、木が生えていて、あるかどうかもわかりません。北側の旧道からも見てみましたが、草が茂っていてよくわかりませんでした。

岩松小学校新得町屈足基線)


道道718号沿いです。校舎は岩松福祉館として利用されていましたが、2019年に解体されたそうです。左側にグランドがありました。


説明板があります。2021年5月に門柱を復活させたそうです。1913年私立で開校、1914年特別教授場になりました。1919年に巖松尋常小學校。1976年屈足小学校と統合しました。
森林鉄道は校地の向こう側を通っていたようです。岩松ダムができて、中土場に移動するまで、岩松の網羽から木材を運んでいました。

ペンケ沢(岩松)駅逓新得町屈足東1線232)


1926年官設で設置、1943年に官設では廃止。1948年に民営でも廃止。岩松小学校グランド跡の道路の向かい側に標柱があります。岩松という地名は、人名「岩」野+「松」浦によるそうです。


岩松にあった、岩野商店さん跡でしょうか。